昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「夢の世界なんですよ、神宮は」二軍で引退試合を行った雄平は神宮球場に必ず帰ってくる

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/16

 ♪バラ色の日々を、キミと探しているのさ──

 秋晴れの青空の下、大松尚逸二軍打撃コーチの上げるトスをネットに打ちつける背番号41。そのバックに流れていたのは「イエモン」ことTHE YELLOW MONKEYの『バラ色の日々』。一定のリズムで繰り返される小気味いい打球音と吉井和哉の歌声のコラボに、なぜか目元が潤んできた。

 9月30日、ヤクルト戸田球場。前日、今季限りでの現役引退を発表したヤクルトの雄平は、楽天との今季イースタン・リーグ最終戦で自身にとって“最後”の一戦に臨もうとしていた。ティー打撃を終えてケージに向かうと、今度はグラウンドに「ミスチル」ことMr. Childrenの『終わりなき旅』が響き渡る。そう、長年にわたって雄平が打席に入る際の登場曲として使われてきたナンバーである。

 傍らで池山隆寛二軍監督に見守られ、左打席から乾いた音を残して打球を飛ばすのをぼんやり眺めながら、雄平の「バラ色の日々」に思いをはせていた。

“最後”の一戦に臨んだ雄平 ©菊田康彦

「頭が真っ白に」2015年優勝を決めたサヨナラヒット

「思い返すとたくさんの思い出がよみがえりますが、中でも 2015 年、サヨナラヒットで優勝を決めたことが、一番印象に残っています」

 引退発表の際のコメントにあったように、あのリーグ優勝を決めた一打は、投手7年、野手12年のプロ野球人生でも、間違いなくハイライトと言っていいだろう。右膝前十字靱帯断裂という重傷を乗り越えて外野のレギュラーに定着し、ベストナインに輝いた2014年から、プロ13年目で初めて優勝の美酒に酔った翌2015年。この2年こそが、まさに雄平にとっての「バラ色の日々」だったに違いない。

 ヤクルトが14年ぶりのリーグ優勝を決めた2015年10月2日。胴上げが終わった後の記者会見で、「打席に行く前は(ここで打てば優勝だと)考えてたんですけど、打った時はちょっと頭が真っ白になったんで。で、走ってる時に気付きました。優勝だ!って」と話して笑いを誘った雄平を、昨日のことのように思い出す。あれから6年。今年で37歳という年齢を考えれば、こういう日が来てもおかしくはない。それでもこんなに早く来るとは思わなかったというのが本音だ。

 そんなことを考えているうちに練習は終わり、プレーボールの時間が刻一刻と近づく。この日の試合を取材できるかどうかは前日まで分からず、念のため外野席のチケットを購入していたので、昨年から設置されたレフトスタンドに初めて腰を下ろした。

「全てが最高の試合になってくれたな」

 そこでいつもと同じようにスコアを付けながら、雄平の出場機会を待つ。おそらく出番はゲーム終盤だろう。動きがあったのは8回表の楽天の攻撃中。イニング間にファウルグラウンドでダッシュを繰り返していた背番号41が、一塁側のベンチ前に出てきて素振りを行う。するとその裏、楽天の三木肇二軍監督が2番手としてマウンドに送ったのは、アンダーハンドの牧田和久である。

「三木さんが監督っていう、そういう縁もありました。僕の中では思い入れの強いコーチで感謝してるんで、全てが最高の試合になってくれたなっていうふうに思ってます」

 試合後、雄平はそう話すのだが、楽天の三木二軍監督とはプロ入りした2003年から5年間は選手として同じ釜の飯を食い、ヤクルトの一軍作戦兼内野守備走塁コーチだった2015年には優勝の喜びを分かち合った間柄である。雄平の出番に合わせて、同じ1984年生まれの牧田を送り込んだのは、そんな三木二軍監督ならではのイキな計らいだった。

 再び『終わりなき旅』が流れる中、あらためて代打・雄平が告げられると、スタンドからは一段と大きな拍手が沸き起こり、筆者の隣にいた女性が思わず立ち上がる。雄平はというと、打席に入る際に軽く素振りを繰り返しながら笑顔を見せていた。