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「僕の盟友へ」スワローズ・三輪広報が引退を決めた雄平に書いた“最初で最後の手紙”

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/10/24
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 拝啓 雄平様

 雄平、引退発表のその後お元気ですか? チームは優勝戦線の真っ只中でなかなか落ち着かないけど、そのときに備えて相変わらずバットを振っているんでしょうね。

 引退を発表した日は忙しいだろうと、僕なりに気をつかって数日後に電話を入れましたね。とりあえず「おつかれさん」だけは伝えようと。そうしたら雄平からの思わぬ一言に僕は驚きました。「三輪さん、あのコラム……もう最後だし、僕を出してくださいよ」。

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雄平からのまさかの売り込み

 このコラムを読んでくれていることにも驚きましたが、まさかの売り込み。コラムを担当して初の事態に動揺し「もちろん……考えているよお前。まぁ焦るな!」とその時は、いささかぶっきらぼうな反応をしましたが、約束通りこうして筆を執っています。

 電話のあと、引退記念ということで後日球団公式YouTubeで公開する、雄平と僕の対談企画を撮ろうと戸田球場を訪れました。すると、そこには相変わらずバットを振っている雄平がいました。「一緒に練習するか」ともちかけ、キャッチボールやティーバッティング練習の相手をしたけど、僕が上げるトスを打っては「あぁ、ダメだ!」などと言う。もう引退するというのに、理想のスイングを追求している姿には思わず笑ってしまいました。

 2002年ドラフト1位としてプロの道に入った雄平から遅れること5年。僕は2007年ドラフト6位でスワローズにお世話になることになりました。まだ右も左もわからなかった2008年の春季キャンプ。室内練習場でのシートバッティングでマウンドに立ったのは1軍で先発ローテーションを狙う6年目の投手・高井雄平でしたね。

筆者 ©三輪正義

強烈だった第一印象

 その左腕から放たれる球に、僕のバットはかすりもせず。ようやく当たっても全く前に飛ばすことができない。プロの一軍の投手の球に歯が立たない自分に、うちひしがれたことを昨日のことのように覚えています。

 しかし先日、当時の強烈な第一印象を雄平に話すと「三輪さん、僕も打者に転向してわかったんですけど、室内練習場(当時)の暗い照明では多分当たんないですよ。僕も一生懸命投げなければならなかったけど、あれは無理(笑)」とフォローなのか、本気なのかよくわからない返しをされて、困惑したのはここだけの話です。

 戸田球場で午前の練習が終わり、昼食を摂るため、戸田寮に向かうバスの車窓から、サブグラウンドでポツンとキャッチボールをしている雄平の姿を見たことがあります。「あぁ、やってるな」くらいにしか思わなかったのですが、1時間後、午後の練習のためにバスで戻ると、車窓からは同じ場所でキャッチボールをしている同じ姿が見えました。投手としていろいろ試行錯誤しているのは知っていたけど、ここまで愚直に基本を繰り返している姿に「こいつ、すげぇな」と素直に思ったのを覚えています。

 そんな雄平だから、打者に転向したあとも、「やめろ」と言われるまでバットを振り続けているのも不思議ではありませんでした。

投手から野手、肉体改造と「筋肉」と

 ロッカールームの席が隣同士だった僕ら。いろんな話をしましたね。雄平が野手に転向した2年目には「投手の体型のままじゃあ、足を壊すよ」とアドバイスしたことがありました。投手は投げる専門家で、動きは限られますが、野手はいろんな体の使い方をしなくてはならない。雄平もそれはわかっていたようで、それからは肉体改造に励んでいきました。

 僕は雄平のことをことあるごとに「筋肉」と呼んでいましたが、「おう、筋肉、お前腕ちょっと細くなったんじゃないの?」って指摘すると、袖をまくって上腕を出したり、短パンをめくりあげて太ももを強調してくる。そんなポーズに若干ひいてましたが、言いたいことはよくわかりました。

 しかし、神宮球場のクラブハウスで「筋肉」がひとたび何か発言すると、不思議な静寂が訪れます。それはマンガのオノマトペで書かれる「シーン」という文字が右から左、部屋全体に流れるほど。隣の席の僕はいたたまれず「お前!どうすんだよこの空気!」とツッコむとドッと笑いが起きました。

 筋肉が何か言い、僕がツッコむ。スベリにスベる筋肉の発言を拾いまくる僕。「やめてよ、三輪さん~」って言われたけど、ああでもしないと、試合前の雰囲気が危なかった。そういった意味で僕には感謝してほしいのだけど、あれで鍛えられたのか、今、つば九郎に反応良くツッコめる僕がいる。感謝しなくてはいけないのは僕のほうだと気付かされました。

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