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どこまでも仲間のために、腕を振り続けていた

 あの栄光の時間も、チームのことを考えていた。清峰高校3年の春、チームのエースとして長崎県勢初の甲子園全国制覇を成し遂げた。44イニングで1失点、防御率0.20。ときに三振を狙い、ときに打たせて取る。ペース配分も考えながらの「大人のピッチング」は、チームのことを考えるがゆえのスタイルだった。

「当時、チームに投手が少なくて、僕がある程度投げるしかない状況でした。そうすると、次の試合のことも考えて投げる必要がありました。試合の展開に応じて三振を狙うこともあれば、打たせて取る場面もあります。そういった中で、投球の楽しさがわかるようになりました」

 一方で、プロ野球の世界に飛び込むと、2年目からは連日のリリーフ登板である。「登板数が増えることは必要とされることの証明です。それは、嬉しいことです」。文字にすれば優等生の匂いがするコメントではあるが、飾り気とは無縁の今村である。どこまでも仲間のために、腕を振り続けていた。

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 もちろん、プロフェッショナルである。どれだけ投げてもパフォーマンスを落とさない「燃費の良い」動きも追求していた。「ストレートの力をアップさせるため、フォームの無駄を省くことは考えました。大事なところで力を入れます。体の回転するところです。フォークも抜くイメージからしっかり投げるイメージに変えることで、思うように操作できるようになりました」。調子や状況に応じて、鋭いフォークやチェンジアップ気味のフォークを投げ分けた。コントロールを意識するのはもちろん、フォークを投げることが見抜かれないようにマウンドでの仕草にも気を配っていた。

 淡々と投げるイメージが強いが、ボールの強さの裏には、強靭な下半身があった。マウンドを蹴る右足は、「試合後はパンパンになる」くらいの出力だった。高校時代は、足がつるまで走ったこともある。やはり、見えない努力があったのである。

 そういえば、番組ロケで、こんなことがあった。移動中に、MCが台本に書かれたクイズの答えを事前に口にしてしまったのである。本番。彼は、答えを知りながら間違った回答をした。もちろん、ポーカーフェイスだった。

 マウンドでも、グランドの外でも、今村猛は気配りの人だった。だからこそ、あの勇姿をまだ見たい気もするし、ゆっくり休んで欲しい気もする。

 さて、ロケを終えた空腹の電車内。紙袋を開けると、長崎名物のカステラが入っていた。甘い香りが漂ってきたが、口にせず包装紙に包み直した。その優しさに触れるには、まだ早いと思ったからだった。

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