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「散々、痛い目を見たけど忘れられない」1日200万負けてもハマり続ける「闇スロット」の沼

「散々、痛い目を見たけど忘れられない」1日200万負けてもハマり続ける「闇スロット」の沼

「闇カジノ」 #3

2021/10/03

genre : ニュース, 社会

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 闇スロットの店が開くのは夜21時である。開店早々、店に入ってきたのは在京人気野球球団の投手Aだった。若手選手だがギャンブル狂で有名な選手である。

 Aは精悍な表情で場内を物色すると手早く1台のスロット台を確保した。財布から2万円を取り出しメダルを購入する。レバーを引いてゲームスタート。眩い光が点滅し、電子音が響き渡る。Aの目はギラギラと輝いていた。

 やがて彼は他のスロット台も物色し始め、何台もスロットをキープし同時並行で遊び始めた。スロットに次々と飲み込まれていくメダル、その額は数百万円にも膨れ上がって行った――。

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©️iStock.com

 闇カジノの世界への入門編と呼ばれるのが、闇スロット(以下・闇スロ)である。バカラは一勝負で1000万円という金額が飛び交う大勝負であり、そのヒリヒリ感とアドレナリンが大量に放出される空気感をVIP客は好む。

 一方で闇スロの場合はサラリーマンから有名人まで、その客層は幅広い。バカラほどの高額ギャンブルではないものの、闇スロはより敷居の低いギャンブルとしても知られている。

 なぜ闇スロを気軽に遊ぶ人間が多いのか。

 元闇カジノ店のオーナーで、業界に精通している漆原康之氏は、闇スロが一般人も通いやすい違法ギャンブルとなっているのは「パチンコと深い関わりがあるからだ」と語る。

闇スロ“誕生”のきっかけは社会規制

 闇スロが本格的に普及し始めたのが2006年くらいのこと。漆原氏も当時、いくつかの闇スロ店開設に深く関わっていた。

 パチンコ・パチスロ市場はピークであった1995年ごろには30兆円産業とされていた。しかし95年を頂点に市場は縮小していく。理由は04年以降、市場拡大の牽引車だった射幸性の高い遊技機が法規制で撤去されたためだった。

 ギャンブル中毒となった客が多重債務者となるケースが続出し、自殺者なども出たことにより社会問題となったのだ。新たに規制がかかり特にパチスロ愛好家のなかでは人気の高かった射幸性の高い「4号機」と呼ばれる台は、パチンコホールから姿を消すこととなった。(*パチスロ機は規則改正などにより代替わりしてきた。現在は6号機が主流となっている)

闇スロ実際の店内

「06年に闇スロ店をやろうという企画は、ある都内パチンコ店オーナーから持ち込まれたものでした。彼らの発想としてこうです。自分たちの土俵で仕事がしやすいもの、さらに稼げるものは何かとなったときに『闇スロ店』というアイデアが出てきた。

 パチンコだと機械割とか釘とかいじらなきゃいけないから手間がかかる。スロットなら簡単に始められるという考えでした。私自身もスロット愛好者だったので、みなで楽しめるだろうと考え闇スロ店を始めました。パチンコ店オーナーはもともと闇カジノなどのアングラビジネスにお金を出している人間だから、アングラな闇スロ店をやることに対しては抵抗がないわけです」