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「まねできない」「こいつはすごいやつだ」大島康徳が明かした落合博満の異常ともいえる“野球への向き合い方”

『振りきった、生ききった「一発長打の大島くん」の負くっか人生』より #1

2021/10/16
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 すると今度は「何で、割れんのじゃー!!」。何と、コップに逆ギレしたんです。そりゃ割れませんよ。星野さん……。

 一方、細やかな心配りができる人でもありました。ある年のオフ。選手会のゴルフ大会の景品が必要になり、トヨタ自動車の会長のところに寄付をお願いしに行ったことがありました。

 そんなとき、星野さんはトヨタの車に乗って行くんです。普段はベンツに乗っているのに。「トヨタさんにお世話になるのにそういうわけにもいかないだろ」。気配りというか、あらゆる面から物事を考える人で、いろいろ勉強させてもらいました。そんな星野さんは就任早々にすごい事件を仕掛け、世間を驚かせるのです。

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世紀のトレード

 1986年12月23日、中日とロッテからトレードの発表がありました。ロッテ・落合博満選手と中日・牛島和彦投手、桑田茂投手、平沼定晴投手、上川誠二選手の1対4のトレードです。

 世間があっと驚きました。

 この直前、僕は静岡に牛島君と一緒にゴルフに行っていました。帰りの車で彼が「先輩。僕、トレードされるってうわさを聞いたんですが」と言う。「あるわけないだろ。おまえを手放すものか」と話したばかり。驚くと同時にプロの厳しさを痛感しました。

優勝の喜びをともに味わった牛島和彦投手がトレードでロッテへ(同書より)

 トレードについての僕の考えはシンプルでした。トレードを通告されるということは必要ないということですから、すぱっと辞める。お世話になったドラゴンズに骨をうずめる覚悟でした。

あらゆることが打撃中心、野球中心の落合選手

 さて、翌87年になり、落合君がやってきました。僕にとっても「打者・落合」は興味の的です。背番号が「6」でロッカーが僕の隣だったことも手伝い、どんな準備をして、どんな練習をするんだろうと、「落合ウオッチャー」になることに決めました。

 ひと言で言うと、「まねできない」と思いましたね。野球人として、日ごろの行動、ストイックさ。バットコントロールも含めて「こいつはすごいやつだ」と感じました。落合選手と同等だと思ったのはイチロー選手だけです。

トレードで中日入りした落合博満氏 ©文藝春秋

 あらゆることが打撃中心、野球中心でした。例えば、湿気が及ぼすわずかな影響を嫌い、バットをジュラルミンのケースに入れて持ち歩いていました。