結局、87年は納得できるシーズンではありませんでした。そして、オフのある日のこと。星野さんから電話がかかってきました。「ヤス、ちょっと来てくれないか」。トレードの通告でした。
日本ハムへ
星野仙一監督の自宅を訪ねると、「ヤス、日本ハムにトレードだ。受けるか受けないか、今、決めてくれ」と告げられました。
あの人らしいですよね。こういう話を持ってくるのはおまえのためだとか、そういう言い訳めいた説明は一切なし。単刀直入にずばっと言われました。
「どうして、今なんですか」と尋ねると、「俺、明日、アメリカに行くから」。ずっこけそうになりましたね。
そうはいっても、こちらにはこちらの都合があります。「時間をください」と星野さんの家を後にしました。
正直にいえば、迷っていました。僕はチームが自分を必要としないのなら、辞めようと思っていました。
しかし、その頃、妻・奈保美さんのお腹に子どもがいました。「もう自分の都合だけで、進退を決めるわけにはいかないよな」と思い直しました。
妻が寂しい思いをしないように
ふと、浮かんだ光景がありました。妻の実家に結婚のあいさつに行くため、電車に乗っていたときのことです。車窓から建設中の東京ドームが見えました。「俺、もうすぐここで野球やるんだな」とぼんやり考えていました。
それを思い出し、こう思ったのです。妻は1年間、友達も親戚もいない名古屋で心細い思いをした。だったら、今度は僕が日本ハムに行き、妻の実家のある東京でプレーしたらいいんじゃないか。そうすれば、妻は寂しくなくなるよな。
そうして2日後、僕は星野さんに「受けます」と返事をしました。
これで一件落着のはずでしたが、妻に連絡を入れると、妻はカンカンでした。
新聞にトレード話が載っているのを見て、びっくりして、僕に連絡しようとしたけれど、連絡がつかない。当時は携帯電話もないですから。「こんなに騒ぎになってるのに、何で連絡をくれないの!」と怒られてしまいました。またしても平謝りの大島くんでした。
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