当時、政権を取り戻すことに必死だった自民党は連立を組んだ社会党の党首・村山富市を首相候補に担ぐという奇策を放った。
首相となった村山氏は94年7月18日の所信表明で、
《「自衛隊は憲法の認めるものだ」と明言。議場は一瞬静まり、直後に拍手とヤジで騒然となった。21日も参院で非武装中立を「役割を終えた」と言い、連日、党の歴史的転換となる発言を繰り返した。》(日本経済新聞2015年10月18日)
あのときのインパクトは凄かった。
《基本政策の大転換は党の衰退を招き、95年参院選で大敗。96年の衆院選前に分裂し民主党に多くの議員が流れた。》(同)
首相になったはいいが、それまでの主張を一気に変えたことで身内の支持を失ったのである。そりゃそうだ。
首相就任は「ピンチ」なのかも
今回、あの悲劇の匂いを感じてしまう。「岸田文雄=村山富市」説である。人事だけでなく政策でも安倍氏の言うことを次々に飲んだら宏池会の存在意義が問われる事態になるのではないか。あのときの村山氏と社会党のように。首相就任はめでたいように見えてピンチなのかもしれない。
もっとも、こんな見方もある。
『日和見主義的な姿勢懸念』(西日本新聞9月30日)
政治学者の中島岳志が言う。
《岸田氏は、これまでも強い力を持つものに迎合する傾向が強かった。当たり障りのない主張を並べることで敵をつくらず、重要なポジションを獲得するというのが、岸田氏の政治スタイルだった。(略)今回の総裁選でも、本来リベラルな政策志向のはずなのに、首相の靖国参拝や選択的夫婦別姓の是非について言葉を濁し、明言を避けた。日和見主義的な政治姿勢は、何も変わっていない。》
すいません、やはり岸田さんはフニャフニャしていました。