テレビ東京のプロデューサーとして数々の人気番組を手掛けてきた佐久間宣行さんが今年3月に退社。フリーランスに転身し、テレビ、ラジオ、YouTubeなど様々なフィールドで目覚ましい活躍を見せている。意外にも、就職活動時は、最初からクリエイティブ職に狙いを定めていたわけではないという。そこで、テレビ東京入社の経緯、テレビプロデューサーという仕事に対する思いについて聞いた。(全2回の2回目/前編を読む)

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フジテレビは役員面接で落ちた

――佐久間さんは、テレビ東京在籍中の2019年に『オールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティに就任されました。現役テレビ局員の抜擢は異例中の異例でしたが、引き受けるにあたって迷いはありましたか?

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佐久間宣行さん(以下、佐久間) それはもう単純に、深夜ラジオに関われたら幸せだな、と思って。僕は中学生の頃からずっと深夜ラジオが大好きで、就職活動でもニッポン放送の採用面接を受けたくらいです。その時は三次面接で落ちてしまいましたが。

――では、どういう経緯でテレビ東京に入社されたのでしょうか。

佐久間 僕らの時代はフジテレビの採用試験がいちばん最初だったので、記念受験のつもりでエントリーしたんです。その時は、制作部ではなく、事業部志望でした。僕は学生時代にたくさんエンタメの現場に行っていたので、その話を面接でしたらかなり好感触で。二次面接の面接官だった亀山(千広)(※)さんに「制作で受ければよかったのに」と言われました。結局、役員面接で落ちてしまったのですが、すごく悔しくなって。それがきっかけで自分が本当に就きたい職種を受験しようと思ったんです。テレビ東京はテレビ局のなかでいちばん最後に採用試験を行うので、なんとかエントリーも間に合って。で、制作職で受けてみたら内定をもらえて、「これは運命なんじゃないか」と。

※1980年、フジテレビ入社。2013年、代表取締役に就任し、17年に退任。

©文藝春秋

――最初から、いわゆるクリエイティブ職に狙いを定めていたわけではないんですね。

佐久間 マスコミは特別な人が行く場所だから僕には無理だと思っていましたし、僕が就職活動をした1999年は「氷河期」の真っ只中だったので、ぎりぎり我慢できそうな企業なら全部受けていました。