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菅、安倍晋三らの「コミュ障」ぶりを叩く道具となったのは…

「私の政策は効果を上げています。数字を見れば明らかです」といったプレゼン話法は、基本的に売り込みトークなんです。プラスやメリットをアピールして「私に乗ればウィン・ウィンですよ」と、利益を分けあうときには威力を発揮する。

 しかし政治にはむしろ、デメリットやマイナスを国民に受け入れてもらわなければならない局面がある。いまのコロナ禍が、まさにそれです。

 緊急事態宣言は広く不自由を強い、特に飲食店の営業の自由を毀損します。ワクチン接種も、新型コロナは年齢や体質等により重症化のリスクが大きく異なるため、国民の「全員」がメリットを見いだせるかというと、実はそうではない。

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與那覇潤氏

 メリットを分けあう場面では、自分の実績のPR、つまり「俺すげぇ」トークでいい。しかしデメリットを耐え忍んでもらう時には、むしろ逆の話し方――俺がすごい、ではなく「私もつらいし苦しいが、みんなで一緒にやっていきたい」と、相手を圧倒するよりも共感を喚起し、包摂する話し方が必要なんですね。

言葉だけではなかったメルケル

 コロナ禍で包摂的なスピーチの模範とされたのが、ドイツのメルケル首相(当時)が20年3月に行ったテレビ演説です。菅氏や安倍晋三氏ら日本の首相の「コミュ障」ぶりを叩く道具として彼女を持ち上げる論調も、メディアにあふれました。

 しかしそうした安易な対比は、メルケル氏のスピーチの本質をまったく捉えていません。彼女は、冷戦下の東ドイツで育った体験を踏まえて、「自由がいかに価値あるものか」をまず語った。その上で、それでも今は一時的な制限が必要だとして理解を求める姿勢が、自国が東西に引き裂かれた歴史の重みを実感している国民の共感を呼んだわけです。