注意すべきはメルケル氏が言及する、移動の自由が恒常的に制限された東ドイツの暗黒支配は、いつまで存在したか。独裁者と呼ばれたホーネッカー議長の更迭は1989年です。日本でいえば、「昭和天皇が亡くなった時のことは、よく覚えているよ」というくらいの近い過去なんですね。だから響くんです。
私の前作『歴史なき時代に』でも指摘しましたが、同時代の困難をともに過ごしたという体験――「歴史の共有」には共感を生み出す力がある。しかしその効果は永遠ではなく、時とともにすり減っていく。そちらを見ないで、メルケル氏の「発声や表情」だけを模倣しようとすると、ロックダウン等の横文字ばかり連呼する小池百合子都知事のようなモノマネ芸人になってしまいます。
“能弁家”はいらない
歴史のように「共有される文脈」がある場所では、喋りは下手でいいんですよ。平成の日本でいえば、1995年の戦後50周年に首相として談話を発表した村山富市氏(社会党)。『平成史』でも触れましたが、このときは戦後ずっと対立してきた自民党との連立政権でした。
「植民地支配と侵略によって」の文言が賛否を呼んだ村山談話ですが、これは村山氏が私的な見解を述べたものではなく、閣議決定を経た公的な日本政府の見解です。同意した当時の閣僚には、長く日本遺族会の会長を務めた橋本龍太郎氏がおり、平沼赳夫氏や島村宜伸氏などの自民党最右派も多数入閣していました。
戦後長らく対立してきた自民党のために、社会党のなかでも左派寄りの村山氏が骨を折っている。だったら思想的には正直違うなと思っても、ここは自分たちが譲ろうじゃないか。おそらくはそうした力学が働いたのでしょう。実際に連立の立役者だった亀井静香氏は、多くの自民党議員が当時「村山さんに惚れちゃった」と回想しています。
もし村山首相が、若々しく能弁家タイプのリーダーであったなら(実際に2代前の細川護熙首相はそうでした)、こうした関係を築けたでしょうか。むしろ対立する歴史認識を自信満々に「論破」しようと試みて反発を買い、談話はおろか連立を空中分解させたかもしれません。口下手な村山氏が、平素は黙って汗をかくことで伝えるコミュニケーションだったからこそ、実現したリーダーシップと言えると思います。
メルケル氏や村山氏が示した「歴史によって包摂する」スタイルの対極にあるのが、ひろゆき氏に代表される「論破ブーム」です。
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與那覇潤さん「口下手は災いの元か」の全文は、文藝春秋「2021年11月号」と「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。
口下手は災いの元か
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2021年10月8日 発売
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