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 理由が分からないまま、“好き嫌いの多い子供”というレッテルを貼られて小学生時代を過ごした。私立中学の受験を目指したのは、給食のない学校へ通うためだった。

 加藤さんの症状が「感覚過敏」であると教えてくれたのは、私立中学の保健室の先生だった。

「中学では給食はなくて助かったんですが、昼食の時間は教室に食べ物のにおいが充満して気持ち悪くなることがありました。音にも苦しみました。まわりの声がやけにうるさく感じて、授業中もシャープペンのカチカチという音で集中できませんでした。それを保健室の先生に相談すると『感覚過敏じゃないの』と言われたんです。ネットで調べたら、まさに自分の症状に合致して、ちゃんと原因があったんだと気づくことができました」

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写真はイメージです ⒸiStock.com

「感覚過敏」について調べていくと、加藤さんは視覚以外の聴覚、嗅覚、味覚、触覚の4つが過敏なことがわかってきた。

「においが気になるのは食事の時や、あとは大きな街に行った時。音はイヤホンの上からヘッドフォンを重ねて対処しています。満員電車は人に触れるのが気になってしまって苦手です」

 自分が感覚過敏であることが分かり、原因が判明したことで気分は晴れたという。しかし現実には音やにおいが溢れており、それに敏感に反応してしまうことは変わらなかった。

「自分の悩みと向き合うのは怖いじゃないですか」

「感覚過敏研究所」の設立のきっかけになったのは、父親のひとことだった。

「『せっかく会社を持っているなら、自分の困りごとを解決したらいいんじゃないか』と言われたんです。父は一般の会社員で、12歳の時に僕が立ち上げた会社にもいっさい、かかわっておらず、『最近は何やってるの?』というような感じでした。それに自分の悩みと向き合うのは怖いじゃないですか。だから、父のアドバイスを受けてもすぐに動き出したわけではありませんでした」

 しかし父の言葉は加藤さんの頭に残り、「自分の悩み」と徐々に向き合う中であることに思い至った。

加藤路瑛さん Ⓒ積紫乃

「自分が、『感覚過敏』のせいで色々なことをあきらめていたと気づいたんです。友達にカラオケや遊園地に誘われても断ったり、せっかく旅行に行ってもその土地の名物を食べられなかったりしました。でもやりたいことができない状態はもったいないし、つらい。自分の世界を広げるためには、感覚過敏を理由に何か挑戦することをあきらめてしまう状態をなくしたい、と思いました」

 感覚過敏研究所を立ち上げるにあたってSNSで呼びかけると、次々と感覚過敏に苦しむ人たちから反応があった。

「苦しんでいたのはやっぱり自分だけじゃなかったんだと感じました。そして話を聞くと、僕の知らなかった症状に苦しんでいる人も多く、自分のためにも同じ症状に苦しむ人のためにも、『感覚過敏』による困りごとを解決したいと思うようになりました」