1ページ目から読む
2/3ページ目

 元々の夢はマンガ家だったので、教員採用試験を受ける段階で、勉強もせずに40Pの作品を「スピリッツ」に投稿して、マンガ家の道を本格的に志すようになりました。絵は独学ですが、勝手に師匠だと思っているマンガ家さんは沢山いて、浅野いにおさんや堀田きいちさんを大尊敬しています。このペンネームも、お二人を意識して苗字を漢字、名前をひらがなにしています。

――瀬尾さんも苗字が漢字、名前がひらがななので、瀬尾さんと田川さんの名前が並ぶと綺麗だな、と思っていました(笑)。

田川 そうですよね。本当に偶然ですが色々な意味で共通点が多くて嬉しいです。

ADVERTISEMENT

©文藝春秋

教員志望だった頃の経験が、子どもの描き方に活きている

――教師を一時目指した経験が、絵や作風に活きていると感じることはありますか?

田川 大学で受けた一連の授業が活きていると感じますし、あとは教育実習の経験も大きかったです。託児所の子どもと触れ合うボランティアにも参加したことがあって、子どもの振る舞いや、大人と子どものコミュニケーションの難しさを身をもって知りましたね。

『そして、バトンは渡された』より。©文藝春秋

 子どもって、遊んでいてもすぐに飽きちゃうし、大人みたいに「ありがとう」みたいなレスポンスをしたり「あなたといて楽しいですよ」みたいな振る舞いをしたりすることもないので、「俺との遊びを楽しんでくれてるのかな」と疑問を感じることも多かったです。

 物語の世界では、大人と子どもが話すシーンでは子どもの語彙力が足りないゆえに会話が成り立たない…という描き方をよく見ますが、そもそもこちらの話を全く聞いていない、ということも多々あります。逆に子どもが自分の興味のあることを一生懸命に話すこともありますよね。

 実際に子どもと触れ合って経験したことを活かして『ひとりぼっちで恋をしてみた』で子どもを描いたら、母親から「子どもが主役のマンガを描いたら?」と褒められたこともありました(笑)。

――『バトン』はほとんどの登場人物が大人だったので、なかなか子どもを描く機会は少なかったですね。

田川 そうですね。でも、過去編で優子ちゃんの子ども時代を描いたときに、優子ちゃんが筆箱を見てよだれ垂らしているところとか、自分が子どもの言動で好きなところを入れられたと思います。

『そして、バトンは渡された』より。©文藝春秋

 保育士や先生にならないかぎり、子どもと一緒に過ごすのは難しいので、教育実習やボランティアは貴重な体験でした。