例えば、百音との会話から彼女の誕生日を割り出し百音の勉強に役立つ本をプレゼントするような菅波にドン引きする人もいる反面、そんな菅波が愛しく見える人もいた。百音自体がそんな菅波をいやがることなく、ぶっきらぼうな言葉の裏の他者を慮る気持ちを汲んでうまくつきあってきた。
ふいにやってくる「どうしたの?」
そして視聴者もまた菅波のコミュニケーションが得手でない感じが嫌いではなく、むしろ他人事ではないように感じた人もいるようで、多くの人がはらはらしながら「#俺たちの菅波」を応援してきた。
菅波はじつに慎重で、百音と正式につきあうようになるまでに出会いから2年半もかかった。一歩前進したのはコインランドリーで洗濯している間の48分間、蕎麦屋でランチすること。2年半もかけて蕎麦屋でランチとはなんという歩みの遅さであることか。
彼女の身体に触れることもなかなかない。理論派だからまず頭で考えて行動するため、性急さがない安心感の反面、もどかしさもある。そんな彼があるとき、長らく丁寧語で百音と話してきたところふいに「どうしたの?」とタメ口になるギャップは、計算ではないからこそ萌えた。やがて百音とは遠距離づきあいに。これは、すれ違いものの金字塔『君の名は』の令和版か(ドラマの舞台は平成だが)と思うような展開になる。
坂口健太郎だからこそ演じられた
「#俺たちの菅波」は不器用でもどかしく恋愛のべたついたところのない、どこまでいっても理性で互いを理解して最善の道を模索している。この役は坂口健太郎だからこそ演じられたといっていいだろう。
真面目で堅苦しい人物を戯画的に表現するやり方は、過去のエンタメにはよくあったことである。それに比べて菅波は真面目で堅実であることをからかわれるのではなく、尊重されるべき人物として演じている。そしてこれこそが坂口健太郎のセカンドブレイクの鍵である。若さゆえの情熱で突っ走る恋愛の力がファーストブレイクとすると、セカンドブレイクは理性でコントロールする人間愛にまで昇華させた魅力。
それを表現するのは新人では難しい。『64』などで社会を見つめる役を演じ、チェーホフやシェイクスピアで人間の奥深さを学んできた坂口だからこそ、菅波のような人物の複雑な魅力を演じることができた。ちなみに『モネ』以前に坂口は、東日本大震災を題材にしたヒューマンラブストーリー『そして、生きる』(19年)に出演し、“笑っているのに泣いて見える”という複雑さをもった人物を演じている。