扉の向こうに詞の宇宙がある
歌謡曲の作詞をするようになってからも、作曲家はそんなにたくさん組んでいない。はっぴいえんどの3人と、南佳孝とユーミンと筒美京平さん、財津和夫。みんな分かりあっているメンバーで、みんなサウンドを持っている人たちで、みんな詞を欲しがる。詞を書く前からメロディもサウンドも浮かんでくる。京平さんだったらこういうサウンドで来るだろうな、というのを読んで、裏をかくのが楽しい。
ぼくにとっては、詞を先に作るほうが難しいのだが、それは、扉があってなかなか開かない感じに似ているかもしれない。開いて入ったら別の宇宙がある。しばらくそこにいて、出てきたら詞が完成している。
バブルな時代、作詞のためにホテルのスイートを取ってもらったことがあった。詞を作る間、ディレクターがいっしょの部屋にいたのだが、ぼくは全然動かなかったらしい。自分が何をしていたのか、自分ではわからない。ぼくの様子をずっと見ていたそのディレクターが「ペンを持って突然書き出したらあっという間にできていますね」と言っていた。頭のなかで並べたことばを記録しているということなのだと思う。
はっぴいえんどのときは、詞を大学ノートに横書きで書いていた。作詞家になったら、松本隆と名前が入った原稿用紙を渡されて、それに縦に書けと言われた。録音スタジオに行くと、阿久悠さんの詞の直筆の原稿用紙が壁に貼ってあったりするのだが、ぼくはなんだか縦に書くのは恥ずかしかった。原稿用紙を横にして、横書きに使った。
そのうち書くときに手が震えるようになった。書痙という症状で、緊張が指先に行くと震える。速記者や書記といった字を書く仕事の人に多い職業病みたいなものだ。その頃、ちょうどワープロが出て、使い方を覚えて、プリントした詞に、サインした表紙を付けて渡すようになった。印字された詞じゃいやだと、太田裕美には怒られた。今まで直筆の詞を全部大事に取っておいたのに、これからは印刷された詞なのかって。
縦書きにするとニュアンスが違ってくる。ぼくより前の人たちは縦に書いていたけれど、ぼくから後の作詞家はみんな横に書くようになった。
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