この度めでたく第23代文化庁長官就任とはあいなった作曲家都倉俊一の名を最初に心に留めることとなったのは、中山千夏の歌う『あなたの心に』にクレジットがあった時だったかと思う。
中山千夏というとどうしても忘れられないのが、子役時代の『がめつい奴』での怪演だ。
正真正銘の“社会現象”だった『がめつい奴』
そのときまだ子供だった私だが、舞台に釘付けとはこのことで、劇場からのTV中継とはいえ、中山千夏の迫力には本当に圧倒されたものだ。
三益愛子他、共演の一流の役者の誰より印象は強かった。
一緒に観ていた父親が興奮をし、小学生の私を相手に、彼女の演技の素晴らしさについて講釈をし出した(笑)ことは今でもハッキリと思い出すことが出来る。
『がめつい奴』は正真正銘の“社会現象”だった。それが証拠に、この“がめつい”という、それまでには殆ど馴染みのなかったいい回しが、あっという間に全国に広まったぐらいである。当時の社会の情報伝達の能力/速度を思えば、これは事件といえるレベルの話だろう。
自然と覚えてしまうほど流れていた『ひょっこりひょうたん島』
若き日の中山千夏でもうひとつ思い出すのが『ひょっこりひょうたん島』である。このNHKの人形劇での達者な声優ぶりも忘れることが出来ない。
いずれにせよ、10代に於いて既に「天才」という独特なポジション/評価を獲得してしまったキャリアを思うと、デビュー作は――本人作の歌詞などを読んでみても――意外なほどオーセンティックというか、クセのない、悪くいえば無難な作りの、いかにも当時のトレンドであった夜のAMラジオが似合いそうな、典型的な“カレッジフォーク"であった。
私はそうしたタイプのポップスにはあまり食指を動かされない方だったので真剣に聴いてはいなかったが、それでも自然と覚えてしまうほど、この歌はラジオからよく流れてきていた。
そんな経緯で、作曲者都倉俊一の名も色々なところで目にするようになったのである。'69年のことだ。
ニューミュージックブームの萌芽『あなたの心に』
その頃はというと、GS人気ももう峠を越した感があり、一方では、すこし後に興るニューミュージックブームの萌芽とも呼ぶべき動き/気配があった。この『あなたの心に』も、その一翼を担う楽曲だったといえるだろう。
とはいえ、都倉俊一という作曲家に、真の意味で世間の目が注がれるようになるのは70年代に入ってからのことではなかったかと思う。
社会的な認知のきっかけは何といっても、山本リンダ復活劇の立役者の一人としての、大いなる貢献である。