人気が低迷してから見事リバイバルを成し遂げたケースは少ない
山本リンダは、'66年に遠藤実の詞曲による『こまっちゃうナ』でデビューするのだが、そのインパクトが強過ぎたのか、以来『ミニミニデート』ぐらいしかヒット曲に恵まれず、まぁ、いい方は悪いがくすぶっていた。
歌手というのは、一度人気が低迷してしまうと、なかなかそこから這い上がるのに難しいところのある商売だ。ここ60年ほどを振り返ってみても、見事リバイバルを成し遂げたケースなど本当に数えるほどだ。
パッといまアタマに浮かぶのは、男なら『今は幸せかい』の佐川満男。
女性歌手では弘田三枝子に森山加代子ぐらいである。
彼女たちはそれぞれ『人形の家』『白い蝶のサンバ』で復活すると、かつてのロカビリー時代とはまた違う種類の魅力/色気を我々に振りまいてくれたものだ。
ただ、佐川満男にしてもこのお嬢さんがた二人にしても、再び脚光を浴びるようになってからの代表曲はそれぞれ1曲ずつである。
そうした文脈で捉えると、再ブレイク後の山本リンダの快進撃には目を見張るものがある。別格といえる。
’72年の『どうにもとまらない』を皮切りに、『狂わせたいの』『じんじんさせて』『狙いうち』『きりきり舞い』といったビッグヒットの数々を、たった2年足らずの間に、立て続けにチャートに送り込んでいるのである。
無論、そこに仕掛け人としての阿久悠の存在のあったことは誰も否定出来まい。或いは再起に賭ける山本リンダの壮絶なまでの覚悟/思いもあってのことだったとは思う。
度肝を抜かれた山本リンダの歌唱法/発声法
実際、初めて『どうにもとまらない』をTVで観た時の――まさに「打って出る」を体現してみせたといえばいいのか――その扇情的な肉体表現における気迫の物凄さといったら、ちょっとない、こちらが一種の気恥ずかしさを覚えるほどのものであり、私はなんだか“見てはいけないものを見てしまった”ような気持にすら襲われたものだ。
一番度肝を抜かれたのは歌唱法/発声法である。
『こまっちゃうナ』の、あの「かまとと」を絵に描いたような舌ったらずで甘ったるい歌い方こそ、山本リンダのデビュー以来の“トレードマーク”。今風にいえば“アイコン”であったろう。
それが歌い出し、
♪うーわっさをしんじちゃいっけぇなーいよォ!
からしてまったく違っていた。
まさにドスの効いたと呼ぶに相応しい、圧倒的な音圧を誇るこの第一声は、我々のよく知る彼女の可愛らしい歌声とは似ても似つかぬものだったのである。