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拝啓 仰木彬様 “全員で勝つ”今のオリックスを最後の最後まで見守ってください

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/11/15
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 拝啓 仰木彬様

 仰木さん、お元気ですか? 天国でも宮古島の美味しい泡盛を飲んでいらっしゃいますか? 突然、お手紙にて失礼致します。幼い頃、グリーンスタジアムに毎日のように行っていたファンの一人としてお手紙を書かせて頂きました。

仰木彬さん

近年、歴史が目まぐるしく動いた球団ですよね

 仰木さん、こちらはオリックスがついに日本シリーズまで辿り着きましたよ。

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 クライマックスシリーズファイナルステージの京セラドームは壮観でした。近鉄のユニフォームの方も阪急ブレーブスのユニフォームを身にまとった方もオリックス・ブルーウェーブのユニフォームに身を包んで涙する方の姿が実況席からは見えました。

 近年、歴史が目まぐるしく動いた球団ですよね、オリックスは。身売りも、阪神大震災も球界再編も……本当に色んなことがありました。いろんな想いを抱えているファンたちがいました。西宮から神戸にホームを移し、そして大阪に行ってしまって……ファンの心が落ち着かへん時もありました。気持ちがぐちゃぐちゃになった人もおったそうです。でも、こうやって勝ち始めて、選手の皆さんの一体感や笑顔や涙を見てたらファンの皆さんも心のわだかまりが解けてきたんちゃうかなと思います。オリックスと言うチームを誇りに思ってくれてるはずです。

 振り返ると、優勝した95年からは26年、96年からは25年が経ちましたね。

 あの時、小学生だった方は30代に、中高生だった方は40歳前後に、大学社会人だった方は50代、60代、70代になられました。歳を取りました。でも、あの時と気持ちは全く変わっていませんよね。クライマックスシリーズの放送席に向かう時、ご高齢のご夫婦が手を繋いで、お互いを支え合いながら歩いて京セラドームに向かう姿がありました。おそらく仰木さんが生きていらしゃったら、このご夫婦くらいの年齢ですよね。その背中と重ね合わせてしまいました。

 

仰木さんやったら登録名を変えたりするのかなぁ

 仰木彬という偉人が亡くなられてから16年が経ちましたね。

 その2005年にドラフト指名されたのが岡田貴弘。のちにT-岡田と命名されました。仰木さん、彼が見事にチームを勇気づけてくれましたよ。褒めてあげて下さいね。「Tが打てば勝つ。Tにチャンスで回る」て神話が出来たくらいです。シーズン後半、短期決戦での勝負強さは藤井康雄さんに見えました。

 同い歳の安達選手も本当に頼りがいがありました。内野を引っ張るその姿は小川博文さんや馬場敏史さんと重なりました。仰木さんのオリックス・ブルーウェーブ監督就任が発表された1993年に生まれた子が吉田正尚選手。プロ6年間の生涯打率が3割2分6厘。2年連続首位打者。イチローさんみたいな子が出てきました。仰木さんやったら登録名を変えたりするのかなぁて思ったりしています。MASAとか笑。

 そうそう、「ラオウ」ていうニックネームのモノ凄い選手も出てきたんですよ。吉田正尚と同じ青山学院大学出身。去年までプロ5年間でホームラン9本の子が今年は32本も打って、ホームラン王になりました。まさに右の長距離砲です。仰木さん、彼の登録名を「LA-OH」にするのはありですか?? 王(OH)さんのようなホームランアーティストに、アメリカ大リーグにいる右のホームランバッターになってもらいたいという願いを込めてRAではなくドジャースやエンゼルスがあるロサンゼルスのLAにしました。仰木さん、ご検討下さい。

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