この文春野球コラム24時間の戦いで文春ファイターズが敗れた時、えのきど監督のツイートには「勝たせてあげられなかった俺の責任」というような言葉が出てきます。これはもちろん、ファイターズ前監督栗山英樹の口癖というか決まり文句というか、彼の敗戦時のコメントに倣っている訳ですね。
栗山英樹の「俺が悪い」は選手を甘やかしていたのか
俺が悪い。就任当初から、この言葉は野球ファンの耳目を引きました。
負けた試合のあとでちょっとあれこれ吐き出したい気分になっているファンにすれば、「俺が悪い」との監督コメントはいささか微妙なものでありましょう。貧打をぼやくとか、選手の失敗を論ずるに値しないと断じるとか、とにかく何か試合内の出来事について「たられば」的なことを言っていれば、「そうだ監督の言う通りだ!」と同調するもよし、あるいはまた「おまえが言うなー!」でもよし、何らかの発散にはなるのです。そして文句ぶーぶー言いながらも結局は次の試合を楽しみに待つという具合。
けれども監督が「俺が悪い」と言って選手のダメ出しをしないのは、「そうだそうだー!」も「おまえが言うなー!」もどっちも封じられた格好になるんですよね。まあ監督コメントがどんなものであっても各自好き勝手なことは言うんですが、人によっては自分達ファンの心と監督の心が遠く隔たっているように感じることもあるでしょう。
先日、エンゼルス大谷翔平の記者会見で質問者の一人だった岩本勉が、周囲の人々への感謝の言葉を何とかはっきり引き出したくて、でも大谷翔平の答え方はその意図に乗ってくれるものではなく、一部で話題になったことがありました。ちょうど今発売中の「Number」大谷翔平特集など読めば、ジョー・マドン監督を筆頭にチームの皆から好青年だと思われているのは判る訳で、だから余計に岩本勉の空回りが目立ってしまった感があるのですが、ただガンちゃんの気持ちも判る。本人の口から広く世間一般に向かって明言しないと、「無い」ということだとされてしまうのは往々にして見ることです。
栗山英樹の「俺が悪い」も、「選手を甘やかしている」とするファンがいるのはツイッターなどでしばしば見かけていました。発表されたコメントにダメ出しがなかったからといって、それは報道陣に向かっては言わなかったというだけのことに過ぎず、試合前ミーティングなどで選手が直接何を言われているのかは外側からは判らないのです。球団広報やスポーツ新聞が伝えるコメントだけが栗山英樹の言葉の全て、ひいては彼の試合の総括全てであるかのように受け取るのは、それは少々そそっかしいのではと思うこともままありました。
優しい監督だったと同時にとても厳しく冷徹だったのだろう
そもそも「俺が悪い」は本当に、選手を責めないためだけの言葉だったのでしょうか。
栗山英樹とはどういう監督だったのか。にこやかで穏やか、優しい監督だというのが衆目の一致するところでありましょう。ただ、人柄の穏やかさ、優しさとはまた別に、というかそれらと全く同時に、とても厳しく冷徹な指揮官だったのだろうとも思うのです。
と言うとあるいは首をかしげる向きもあるかもしれませんね。彼はしばしば選手との関係を「片思い」という言葉で表現します。片思い、つまり見返りのない愛情を与え続けることにためらいのない人物が冷徹なのか、と。
「嫌われて当然と思ってやってきたつもり」
退任会見での言葉です。片思いという言葉を言い換えるとこうなる訳ですが、この言い方だと受ける印象は少し違ってきます。大谷翔平がまだファイターズにいた頃、「翔平は俺のこと嫌いだと思うよ」などと冗談めかして言っていましたが、それは好成績をあげていて周囲が遠慮がちになっても、自分だけは厳しく接しているという話の流れでした。
ボーンヘッドをしでかした選手がいて、ファンが見れば100人が100人それが敗因だと言ったとしても、ひとり栗山英樹だけは決してそう言わなかった訳ですが、ただしそれは彼が選手に優しいからだけではなく、野球好きというより野球バカ、新しい作戦や起用法を四六時中考え詰めている彼にとって、選手は要するに「盤上の駒」でもあったと思うのです。負けるのは指し手を誤ったからで、駒のせいではもちろんありません。なるほど「俺が悪い」のです。
そして更に想像を逞しくするならば、そんな駒を動かす立場であることへの忸怩たる思いもまた、その言葉の奥に潜んでいるのではないかと勝手に感じておりました。ただひたすら最善の指し手のみを追求している冷徹な栗山英樹を、選手のヒーローインタビューに涙ぐむもうひとりの栗山英樹がじっと見つめているような。