“きゅん”をファンはいつまでも語り継ぐだろう
2019年、彼は1軍に戻って来た。5月に965日ぶりのヒット、こだわりのレフト方向へきれいに飛んでいった。久しぶりの塁上でのスマイル。翌日にはホームラン、7月には決勝打で4年ぶりのお立ち台。その年は30試合の出場で完全復活に向けての期待が膨らんだ、節目の10年目がやってくる。
しかし結局、去年はコロナで試合数も減った中、7試合の出場で9打数2安打1打点。今年は打席に入る時に膝を気にするような様子もあって古傷の痛みを心配していたけれど、それに合わせて肩も早々に痛めていた。強くも遠くにも思うように投げられない、でも自分にはもう治療してリハビリをするような時間はない。痛みと付き合いながらの文字通り苦しいシーズンだった。
引退は10月25日に発表され、翌日が最後の試合になった。この日は今季ラストの札幌ドームでのホームゲーム。そのコールは7回だった。最後の打席がやって来た、通算581打席目。スタンドには背番号64と4のユニフォームや黄緑色のネームタオル、様々な応援ボードやグッズが揺れた。こんなにファンは待っていて、昨日の今日なのにボードをこんなに丁寧に用意して、谷口選手はいまどんな思いでこの風景を見ているだろうと思うと胸が苦しくなった。
幅広くファンの多い選手だった。左打席に入る。一度、頬をぷーっと膨らませて構える。初球を打った、ずっと追い求めてきた逆方向への打球。左にボールの行方を追いかけながらファーストへ走る。到着した瞬間はもう彼は涙でいっぱいだった。272試合目、140本目のヒット、なんて完璧なヒットなんだろう。
同期の西川選手は一番に喜び、途中一度少し上を見て微笑んでいた。何を思っていただろう、同期の引退を見つめるのはどんな思いだっただろう。イニングが終わり塁から戻った谷口選手と迎えた西川選手は抱き合った。いつもはクールな西川選手が気持ちをいっぱいに出していた。
2010年、あの年のドラフトは高卒はこの2人だけだった。「僕の野球人生の中で一番の目標」と谷口選手は西川選手を評価する。同期の活躍を讃え、追いかけ、鼓舞し合ってきた11年。私達もずっと見てきた11年。これであの年のドラフト選手は西川選手だけになる。その西川選手もノンテンダーとなり、来季、ファイターズのユニフォームを着るかどうか今は全くわからない。
谷口選手には「きゅん」というニックネームがあった。そのルックス、プレー、優しい語り口、全てにきゅんきゅんするから、「きゅん」。小さな子から大人までみんなが「きゅん」と呼んだ。
プロ野球選手には成績は重要だ。勝負の世界だからそれは当然のことだ。だけど、数字だけじゃなく、心に深く入ってくる選手はいる。これから先、ファイターズを応援する中で谷口選手の成績がどこかで比較に出たりクローズアップされることはないかもしれない。でもファイターズファンはいつまでも忘れずに語り継ぐだろう。谷口雄也という選手がいたことを、「きゅん」という呼び名があったことを。彼があの笑顔で、ひたむきさで、必死さで私たちに11年間もプレゼントを与え続けてくれたことを。
私たちは幸せをたくさんもらった。直接お返しは出来ないけれど、願うことはどこからだっていつまでだって出来る。幸せになってほしい、これから、もっともっと、もっと。
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