しかし更生はそう簡単にいかず、教会に住み込みで来たものの突然いなくなる人間も多く「更生できた」と言えるケースのほうが少ないという。
「それでも同じ元ヤクザでしっかりと仕事をして家庭を持っている人間もいます。更生するかしないかは、その人の周りに手放しで更生を喜んでくれる人がいるかいないか、というのが大きい気がします。涼二みたいに家族がいないと、難しいです。でも最後は自分です。更生するカードを俺が出しても手を伸ばすか伸ばさないかは本人次第ですから」
緊急事態宣言が明け、「罪友教会」でも週2回の礼拝が復活した。進藤牧師は、今日も聖書の一部分を引用し、わかりやすい言葉と大きなジェスチャーで礼拝者に訴えかける。
「犯罪者を断罪する人へ『お前は神か』と言いたい」
「私が伝えたいのは大きく2つです。1つは『人は絶対にやり直せる』ということ。世間が許さなくても、神は許すんです。そして『(キリストに)許されたからこそ強い人生を歩まないといけない』ということです。被害者のためにも、本人のためにも本人が過ちを改めるか否かでは全く異なりますよね。
例えば涼二は、子供を3人も死なすという大きな罪を犯しました。でも、これからだってまだ間に合います。このような人間に手を差し伸べることはおかしいのではないかという意見もあるのは重々分かっています。でも、断罪する人には『お前は神か』と言いたい。罪を犯さない完璧な人なんて誰もいないんだし、人の命をやりとりできるのは神だけだと思うんですよね。刑務所は罰として過ごす場所、というよりもそこで罪をしっかりと悔い改めどう生きるか、ということが大事なのではないかというのが俺の考えです。
それは死刑囚だって同じです。死刑を待つ身だとしても、その日まで、罪に向き合ってどう生きるかということが大事なのではないでしょうか」
元ヤクザら刑事事件の“罪人”とキリスト教の親和性は高いという。
「人気のあるモーセもダビデも犯罪者なんですよ。モーセは日本の法律で言うなら、傷害致死と死体遺棄という罪を犯しています。ダビデは殺人教唆です。そんな人がスターなんだから、キリスト教というのもおかしな世界でしょう。他の人が見捨てても、俺は絶対に誰のことも見捨てませんよ」
受刑者から届いた手紙の束を前に、進藤牧師は笑った。
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