首相なんて大体バカな奴がやるもんですよ/吉田茂(政治家)
1878年~1967年。東京生まれ。土佐出身の政治家竹内綱の5男。吉田健三の養子。牧野伸顕の女婿。駐伊・駐英大使などを歴任。戦後5期にわたって首相を務め、主権回復を実現。「ワンマン宰相」とも呼ばれた。池田勇人、佐藤栄作らも育てた。
吉田茂といえば、戦後復興期に5次にわたって首相を務めた人物である。在任中には日本国憲法の制定やサンフランシスコ講和条約の締結、主権回復などが行われた。戦後、日本を新たに生まれ変わらせた政治家といっても間違いではないだろう。
その吉田が、政界引退後、84歳の年に文藝春秋のインタビューを受けて
「首相なんて大体バカな奴がやるもんですよ」
と語っている。もちろん、自身長く首相を務めた人物であるから、かなり自嘲気味の愚痴である。
このセリフは、文藝春秋の人が、元首相同士の対談を持ちかけた際の一言である。どうして「首相なんてバカな奴がやる」ものだといったかというと、
「首相に就任するや否や、新聞雑誌なんかの悪口が始まって、何かといえば、悪口ばかりですからね、この世にこんな大バカはないように書かれます」
と、首相がマスコミに叩かれてばかりの損な商売だと告げるとともに、首相を「バカ」と報道し続けたマスコミに対し
「そんなバカばかり集まって話をしたって面白かろうはずがないじゃありませんか」
と、皮肉をいっているのだ。
一方で、同じインタビューの中では
「私は御承知のように、(首相には)なりたくってなったわけでない」
ともいっている。本当だろうか。
吉田は東大卒業後、外務省に入った。元は政治家というより外交官だった。駐英大使などを経験した「親英米派」で、戦時中、和平工作をしていたことなどから収監も経験している。
しかし、その経歴が、戦後、GHQの指導の下、民主化に走る日本の指導者としてはうってつけだった。終戦後、すぐに外相に就任。とはいえ、占領下にあった日本に本来の意味での「外交」など存在しない。この時期の外相の仕事とは、つまりはGHQとの「窓口」である。
終戦の翌年、戦後初の衆議院総選挙が行われ、第一党となった自由党総裁鳩山一郎が首相となる……はずだった。しかし、鳩山はGHQにより公職追放となってしまう。
その鳩山から直接、後を託されたのが吉田である。この時、彼は確かに一度断っている。予定外のことでもあったろうし、自由党は第一党といっても過半数には及ばない少数与党だった。
とはいえ、厳しい現況下、GHQにも顔が利く吉田の首相就任は絶対に必要だった。結局、第二党の進歩党も連立に参加して吉田内閣が発足した。以来日本を長年率いていくことになる。
このインタビューの5年後に逝去した吉田茂。「バカな奴」と自重した男の葬儀は、国葬となった。
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