毎週収録が終わったら、三宅さんと裕三さんたちとご飯に
――ビジーフォー・スペシャル(※)のライブもありましたけど、違う曲をマッシュアップ状態で演奏したりと異様にハイレベルでした。
赤坂 もう変態ですよ、あれは(笑)。スタッフからしてレベルが高かったんですよ。なんたってディレクターたちも譜面を読めちゃうんですから。だから、小手先でごまかせないんですよ。「コーラス、音が外れてましたよ」とディレクターに指摘されたら、居残りで入れ直しですよ。裕三さんたちは、いつも3組か4組分、スペシャルの時なんか7~8曲の収録をやりますから。僕は楽屋で裕三さんやモト冬樹さんのリハや演奏をずっと聴いていました。
(※)元々は4人組のコミックバンド。主にグッチ裕三とモト冬樹のコンビ活動で知られ、解散後ブランクを経て、メンバーを入れ替え再結成した。
――出演者の中では、グッチ裕三さんと飲み歩く仲だったそうですが。
赤坂 飲み歩いていたというか、毎週収録が終わったら三宅さんと3人でご飯に行っていたんですよ。そこにコロッケが来たり、アルベルト城間が来たり、もんた(よしのり)さんが来たり。それで毎回、いつしか音楽と演劇の話になるっていう。もう、仲が良いを通り越していたんじゃないかな。裕三さんとは、旅行に行ったり、旅行先でお風呂に入ったりしてましたからね。
――“うちわ(内輪)の会”というのを作られたと。
赤坂 互助会というか、家族みたいなノリでしたね。
プライベートでも逆ドッキリ…『ヒッパレ』は“とんでもない番組”
――赤坂さんの誕生日にはグッチさんや三宅さんが、なんと赤坂さんが帰宅する前に自宅に入って待ち受けていたとか。
赤坂 いました、いました(笑)。でも、それよりもどんどんエスカレートしていきました。こっちが仕掛けたドッキリのほうが大掛かりでしたよ。三宅さんの家に朝6時に集合して、パジャマを着た僕、裕三さん、コロッケがリビングで三宅さんが起きてくるのを待っていたことも(笑)。
あと、裕三さんをみんなで騙したこともありましたね。逆ドッキリだったんですけど、事前に裕三さんには「三宅さんの劇団メンバーの結婚式に裕三さんが欠席すると嘘をついて、それらしいお祝いのビデオメッセージを作り、映像を流しながら裕三さん本人が会場に歌いながら入って、新郎新婦を感激させましょうよ」なんて言っておいて。ちゃんとビデオメッセージも撮影し、「ここで式をやりますから」と東京駅の前にあるコットンクラブを借りて、スパンコールの衣装を着せた裕三さんに待機してもらって。
それで「今日は行けなくてごめんなさい。でも、本当に2人ともおめでとう!」という裕三さんのビデオメッセージが始まり、『オンリー・ユー』のイントロが生バンドで流れて、会場のドアがバーンと開いてスパンコール姿の裕三さんが出てきた瞬間に、僕らが生バンドの演奏に合わせて「ハッピーバースデートゥーユー」を歌ったんです。
――そうとう手が込んでいて、スケールが大きい逆ドッキリですね(笑)。
赤坂 そう、実は結婚式じゃなくて裕三さんの還暦パーティだったんです。裕三さんは『オンリー・ユー』を歌う気満々だったから、「おい、演奏が違うぞ!」なんて慌ててたけど(笑)。
三宅さんの誕生日ドッキリは、ブルーノート東京でやりました。三宅さんが大好きなグループの公演をブルーノートへ見に来て、演奏が始まったらスポットが三宅さんに当たる。会場にいた僕らが「おめでとうございます!」って(笑)。プライベートでもテレビ的なことをやってのけたというところも含めて、『ヒッパレ』はとんでもない番組でしたね。
写真=末永裕樹/文藝春秋
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