DJの赤坂泰彦さん(61)は、ラジオで一世を風靡した後、『夢がMORI MORI』、『THE夜もヒッパレ』などへの出演でテレビの世界でも頭角を現すように。『ヒッパレ』は、番組でグループ名が決まったSPEEDや安室奈美恵さんといったその後のJ-POPを牽引する若手、さらには目を見張るような大御所が時に同じステージに立つという前例を見ない音楽バラエティ番組でした。“DJ赤坂”が目撃した「とんでもない番組」の舞台裏について伺いました。(全3回の2回目/#3に続く)
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阪神・淡路大震災の被災地から「赤坂、遠慮しないでくれ」
――1993年からスタートした『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(TOKYO FM)ですが、阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日には「平成7年兵庫県南部地震スペシャル」として、混乱のさなか、まだ連絡がつかず安否もわからない被災地にいる家族、知人や友人に伝えたいメッセージを届けるという内容に変更して放送されました。
赤坂 あの日、さすがに生放送はないと思っていたんです。報道番組に切り替わると思っていました。だから、「えっ、まさかやるんですか? なにをやるんですか?」と訊き返しました。いま思えば、スタッフもどうしていいかわからないほど混乱して、ああいう形になったんじゃないかな。被災地の方々の安否を気遣うファックスを読んで「可能だったら電話してあげて」と言っていましたけど、そんな状況にないんじゃないか。こんなことやっていて、意味はあるのかと考えましたね。
翌日になって「赤坂、昨日は感動した」なんてファックスが来たけど、「いや、それは違う。感動なんかしてる場合じゃないぞ。もっと、違うやり方があったんじゃないか」って、もっと考え込むようになりました。災害が起きたりすると「ラジオの力を信じて」なんて言って放送してしまいがちだけど、その意味を履き違わないようにしなくちゃって。ラジオを聴いている人とラジオをやっている僕たちから、第三者の誰かに動きが行くことが“ラジオの力”なんじゃないかと。
僕が悶々としていたのが伝わったのか、しばらくして兵庫のほうから「頼むからいつものようにやってくれ。赤坂、遠慮しないでくれ」というファックスとハガキが来ました。
『夢がMORI MORI』でテレビ界でも頭角を現すように
――『ミリオンナイツ』でディスクジョッキーとしてブレイクするなか、『夢がMORI MORI』(フジテレビ、92~95年)のスーパーキックベース実況で、テレビの世界でも頭角を現すようになります。こちらはどういった経緯で出演されるようになったのですか?
赤坂 『オレたちひょうきん族』(フジテレビ、81~89年)を手掛けた“ひょうきんディレクター”のひとりだった佐藤義和さんがプロデューサーを務めていて、佐藤さんから声を掛けていただいたんです。佐藤さんには、芽が出る前からフジテレビを訪ねては、いろいろ話を聞いてもらっていたんですよ。「なにか楽しいことをやってみたい」という僕の漠然としたビジョンを覚えていて、呼んでくれたみたいで。
僕もテレビに進みたい気持ちはあったし、テレビを通じてディスクジョッキーの地位を向上させたいみたいな思いもあったんです。テレビに出たことで得た栄養を全部ラジオに持ってこようと。そうすることで、テレビを見ている人がラジオにも耳を傾けてくれるんじゃないだろうかと思っていたんですね。