一昨年に60歳を迎えたというDJの赤坂泰彦さん(61)。「今のテレビには赤坂さんが足りない」と千鳥の大悟さんが『千鳥vsかまいたち』で訴えたことが話題を呼びましたが、赤坂さん自身は「僕も見ました。『見た見た』って、すごい数のLINEが来ましたよ」と軽やかに話します。赤坂さんの“原点”といえる伝説のラジオDJの存在と、その人物との奇跡的な対面がのちの人生に与えた影響について、最後に伺いました。(全3回の3回目/#1#2から続く)

赤坂泰彦さん

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どちらかというとテレビよりもラジオでした

――赤坂さんは1959年に生まれ、一昨年には還暦を迎えられました。世代的にみても、テレビっ子だったんでしょうか。

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赤坂 『鉄人28号』(フジテレビ、63~66年)や『鉄腕アトム』(フジテレビ、63~66年)とか、そういうアニメは普通に見ていたような気がします。あと覚えているのが、『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ、61~72年)のような音楽バラエティと、やっぱりドリフの『8時だョ!全員集合』(TBS、69~85年)ですね。

 テレビを見せてくれない家庭ではなかったんですけど、どちらかというとテレビよりもラジオでした。家では、朝と夕方には台所でラジオをつけていたんです。登校する時間になると流れるラジオ番組を聞くと「もう学校に行かなきゃ」とか、夕方になったら「そろそろご飯かな」とかね。

――ラジオが生活のタイマーになって、体に刻み込まれていたといいますか。

赤坂 小学校6年くらいですかね、父が手の平サイズくらいのポータブルラジオを渡してくれたんですよ。そこから本格的にラジオを聴きました。いまにして思えば、スマホを手に入れたような興奮がありましたね。自分と社会がつながれるツールみたいな。

 1分でも長く起きていれば、1曲でも多く聞けるなんて思うくらいに夢中でした。「ファーストキスがどうのこうの」なんて話が出たら、ウブだった当時の僕は「ファーストキスって言ったよ!」とドキドキして、そこから映画の『小さな恋のメロディ』(71年)の話につながって、「それではビー・ジーズによるテーマ曲『メロディ・フェア』をかけましょう」と曲も知るという。点と点がつながるワクワク感は、テレビと違うなと思っていました。

父はタンカーの通信士、祖父はアマチュアカメラマン

――お父様はタンカーの通信士をされていて、航海から家に帰ってくると“外国の匂い”がしたそうですね。お父様はかなり洗練されていた方だったのではないでしょうか。

赤坂 真面目一本槍で、トッポイ親父ではなかったですけどね。でも、家にあった地球儀で「この国に行った」「ブラジル航路って、ここを進むんだ」と話してくれたり、ハーシーズのチョコレートやオレンジを買ってきてくれたりしましたね。久しぶりに親父が家へ帰ってくると、まずシェービングクリームの匂いがするんです。僕が学校から戻ってきて、スゥーッとする匂いがすると「あ、帰ってきたんだな」って。