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「そんなに需要があると思ってない」DJ赤坂泰彦61歳が、千鳥・大悟の「今のテレビには赤坂さんが足りない」発言に“伝えたいこと”

赤坂泰彦さんインタビュー #3

2021/11/11
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伝説のDJ、ウルフマン・ジャックを追いかけてアメリカで共演

――『アメリカン・グラフィティ』といえば、劇中に登場するウルフマン・ジャックですよね。赤坂さんがラジオの世界を目指すきっかけとなった、伝説的なディスクジョッキーです。

赤坂 「まとめているのは、この人なんだ!」と思いましたね。いろんな曲や車といったアメリカのカルチャーを、この人がラジオを通してつないでいるんだなって。そこから「俺たちの味方だ、この人は」とも確信しました。この人のことは信用できる。この人が紹介してくれた曲は本物なんだって。

――そのウルフマン・ジャックと『赤坂泰彦の東京・ニューヨーク25時間スペシャル』(95年4月25~26日放送)というTOKYO FM の開局25周年記念番組で、対面を果たされていますよね。当時、彼は本国アメリカではどのような存在だったのですか?

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赤坂 伝説のディスクジョッキーとして君臨していましたね。『アメリカン・グラフィティ』以降も、『エド・サリヴァン・ショー』のようなイブニングショーを持っていたし、レコードも出していたし、役者として映画にも出ていますから。

 プラネット・ハリウッドというシルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーたちが出資したレストランがあって、僕がお会いした当時はそこでDJショーみたいなものをやっていました。

 

――この番組の制作費は赤坂さんが工面されたそうですが。

赤坂 さすがに出ませんよ。25時間ニューヨークから放送するだけで、麹町のTOKYO FMに10トン近いパラボラアンテナを用意して、それを設置するのに麹町署に行って手続きしなきゃいけないし、人件費もかかる。

 その前に、これは完全に自分の夢じゃないですか。別にTOKYO FM開局25周年に関係ないといえば関係ないですから。個人の夢だけど、ラジオ文化になにか残したいみたいな大義名分もありました。だって、個人的な夢だったら僕だけプラネット・ハリウッドを訪ねていけばいいだけの話ですから。でも、どうしても一緒に番組をやりたくて。結果、「僕のほうで負担するから番組の枠に入れてください」と。で、ちょうど『ミリオンナイツ』の全国ネット枠になるところにあててくれたんです。

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