2017年末で250万人を超えたという海外からの日本移住者。留学生や観光客などの中期滞在者を含めれば、その数は何倍にもなる。今や、都心を中心に街を歩けば視界に必ず外国人の姿が入るようになったが、彼らの暮らしの“実態”はどのようなものなのだろうか。
ここでは、フリーライターとして活躍する室橋裕和氏が、日本で暮らす外国人の生活に迫った著書『日本の異国』(晶文社)の一部を抜粋。そう広くないエリアにおよそ50軒ものフィリピンパブが集う竹ノ塚で聞いたフィリピン人ホステスたちの生の声を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
※内容は2019年5月書籍刊行当時の取材によるものです。
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2005年、ビザの厳格化で
フィリピンパブの最盛期は2000年代のはじめではないかといわれている。バブル崩壊後、日本の飲食業界は一気に落ち込んだが、比較的リーズナブルなフィリピンパブはうまく生き残っていった。どこか薄暗い日本の世相を笑い飛ばすフィリピーナたちの明るさもあって、日本各地でフィリピンパブが林立したのだ。年間のべ8万人のフィリピーナが日本にやってきていたのでは、という説もあるほどだった。
しかし、2005年にそんな時代が変わる。
興行ビザを拡大解釈させ、タレントをホステスとして接客業に使っている業態は「人身売買」に当たると、アメリカ政府が非難。そして大勢のフィリピーナが、パブなどを媒介に売春に従事させられていると指弾した。日本はその声を受ける形で興行ビザの適用を厳格化させたのだ。
これによって来日するフィリピーナは激減した。
では、以降フィリピンパブは廃れたのか……といえば、そんなことはないのだ。全盛期ほどの店の数はなくても、今夜もたくさんの日本人が南国の空気に触れにやってくる。
そしてお客さんも年をとった
いま店を支えているのは、興行ビザとは関係なく、日本で暮らし、働く資格のあるフィリピン人女性だ。彼女たちは日本人と結婚するなりしていて、日本の滞在許可や永住権をすでに持っている。つまりおばちゃんたちが主力なのである。
もう日本も長い。酸いも甘いも知っている。日本語は堪能で、日本人の男たちがどれだけ疲れているかも、よくわかっている。
そして客のほうも年をとった。
長年通いつめている年配が中心だ。生々しいサービスを期待する肉食おじさんもいるにはいるが、大半は話相手を求めて訪れる。「カリン」には早朝からやってくるおじいちゃんだっているのだ。フィリピン人独特の、母性すら感じさせるホスピタリティーに甘えに来る。
おばちゃんばかりのパブでひときわ若い娘がいたら、けっこうな確率でハーフである。「じゃぱゆき」の母と、日本のおじさんを父に持つ世代が、社会で活躍する時代になっているのだ。