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「2000円の店に来て偉そうにするんじゃないよ!」日本のおじさんたちを“慰め続けた”フィリピン人ホステスが明かす“日本人”への思い

『日本の異国』より #1

2021/11/16
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扉を開けたら「イラッサイマセー!」

 竹ノ塚を拠点に大勢のフィリピン人が暮らしているが、食材店兼フィリピンレストランが一軒のみ。仲間たちが集まる特定の場所があるわけではないという。故郷の食材や調味料なども、日本では高いので、誰かが里帰りするときにお土産として買ってきてもらうそうだ。竹ノ塚から2駅先の梅島に、英語のミサも行うカトリック教会があるくらいで、ふだんの生活は足立区の日本人たちの中に溶け込んでいる。

©iStock.com

 こんな街が日本各地に点在する。名古屋の栄もそのひとつだろう。小さな田舎町でも同様だ。野っぱらや畑の中にぽつりとネオンを灯すパブを見ることがあるが、入ってみるとフィリピン人のおばちゃんがいたりする。「よし江」とか「さざんか」なんて純和風の店名の看板を上げているくせに、扉を開けたら「イラッサイマセー!」と南国の風が吹いてくることもある。過疎化と少子高齢化で少なくなっていく日本人の労働力。そこを外国人が埋める。この図式は夜の世界でも同じなのだ。

勤勉な「竹ノ塚の有名人」

 アニーさんはフィリピンで日本人の夫と出会い、結婚を機に来日した。タレントではない、当時では珍しいフィリピン人女性だったかもしれない。

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 当初は言葉がわからず、苦労ばかりだった。助けてくれたのは自治体だった。足立区は日本語のわからない外国人を対象に、ボランティアの教師による日本語教室を開催しているのだ。

「その頃の代金は、1か月300円の“お茶代”だけ」

 でも、授業は厳しかった。発音や言い回しなど、正しい日本語になるまで徹底的に勉強させられた。「あいうえお」から漢字の書き順まで指導を受けたおかげで、いまでは読み書きも達者だ。

 日本語を学んでからは、北綾瀬のスーパーマーケットの青果コーナーで働いた。その後は北千住にある日本のスナックで、ただひとりの外国人として夜の仕事もはじめるようになった。

「フィリピン人の中ではなくて、日本人に囲まれて働くのが好きだったの」

 と語る。昼も夜も働いて祖国に送金をし、親戚の子たちをいい学校に行かせたいという思いもあった。

 やがて妹も来日し、共同で店をやってみようということで「カリン」をオープンさせたのだ。

 早朝から深夜まで営業するという珍しさもあってか、NHKのドキュメンタリー番組に取り上げられもした。2016年に行われたフィリピンの大統領選挙では、アニーさんはフジテレビにコメントを求められたという。すっかり竹ノ塚の有名人だ。