いまから10年前のきょう、2007年11月20日の正午(日本時間では21日午前2時)、アメリカの科学雑誌『Cell』オンライン速報版に、京都大学の山中伸弥教授らの研究グループが論文を掲載、ヒトの皮膚細胞からiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功したことを発表した。
iPS細胞は「万能細胞」とも呼ばれるように、体中のあらゆる細胞に変化できる能力を持つ。私たちヒトの体は、神経、骨、筋肉、皮膚など200種類以上の器官からできているが、iPS細胞は、これら器官をつくるためのあらゆる細胞に変化する可能性を持ち、ほぼ無限に増えることができる。
ヒトを含む哺乳類の細胞は、たった一つの受精卵から分裂を繰り返し、増殖していく過程で、それぞれの器官ごとに異なる形や機能を持つ細胞(体細胞)へと分かれていく。これを生物学では「分化」という。哺乳類の場合、一度分化して器官に成長した体細胞は、普通なら、再び受精卵のような未分化の状態には戻らない。しかし山中たちは、体細胞を人為的に未分化の状態に戻せば(これを「初期化」という)、それを再び分化させることでさまざまな細胞がつくり出せる万能細胞ができるはずだと考えた。
iPS細胞の「i」はなぜ小文字なのか?
すでに万能細胞としては、発生初期段階の受精卵を用いた「ES細胞」がつくられていた。奈良先端科学技術大学院大学で研究を始めた山中たちは、まずES細胞に特徴的な遺伝子を調べ、京都大学に移る2004年頃には24個にまで絞り込む。これら24個の遺伝子から、さらに体細胞を初期化する因子を持ったものを1年かけて探し、最終的に4個が残った。その4個の遺伝子を、マウスの皮膚細胞に取り込ませたところ、みごと初期化に成功する。山中たちはこの成果を2006年8月に論文で発表、開発した細胞を“Induced Pluripotent Stem Cells”と名づけ、その略称をiPS細胞とした。最初の文字を小文字にしたのは、当時流行していた携帯型デジタル音楽プレイヤーのiPodにあやかったという。
山中らはマウスiPS細胞の論文発表と前後してヒトiPS細胞の開発にも着手、2007年夏には、データがそろい、論文発表の準備を進めていた。しかし出張先のアメリカで、ほかの研究室もヒトiPS細胞樹立に成功したとの噂を聞きつける。そのため、帰りの飛行機のなかで論文を一気に書き上げると、すぐに『Cell』に投稿した。噂は事実で、山中らの論文が発表される約1週間前には、米ウィスコンシン大学のジェイムズ・トムソンから山中宛てに「シンヤ、競争に負けたのは残念だ。しかし負けた相手がシンヤでよかった」とのメールが届く(山中伸弥・緑慎也『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』講談社)。トムソンたちのグループの論文は、11月22日の『Science』誌のオンライン版に掲載予定だったが、2日早まり、けっきょく山中たちの論文と同日に発表された。
だが、山中に言わせれば、「『勝った、負けた』よりも、研究そのものが進んで、早く患者さんを救えるようになることが大事」であった(山中伸弥・益川敏英『「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子』文春新書)。その言葉どおり、iPS細胞の技術は、さまざまな疾病に対する再生医療、創薬で採り入れられ、現在、実用化に向けて世界各国で研究が進められる。2010年より京大iPS細胞研究所の所長を務める山中もまた、12年にノーベル生理学・医学賞を受賞してからもなお、研究に尽力していることは周知のとおりだ。