注目のFAXには、
『ご回答 今回の取材方法について、当社としては問題はなかったと考えています。四国新聞社広報室』
と、書かれていた。
私は新聞社が「取材していないで書く」のが問題だと思ったのだが、むしろ「取材方法」という言葉を使っていた。つまり四国新聞にとって取材しないで書くのが「取材方法」と言っているように読める。選挙前の特定の政治家に対しても。
私は新聞は偏っていて当たり前だと思っている。だからこそ論調の違いを読み比べするのが楽しい。しかし新聞社の経営者一族から選挙に出て、その政治家を紙面でずっと推していたら話は別だ。ライバル候補に取材しないで一方的に情報を垂れ流していたら話は別だ。それは紙面の「偏り」ではなく「私物化」である。
小川氏は早くも“正念場”
最後に小川淳也氏の行動について考えてみたい。あの行動は《「直情的だ」(幹部)との批判を受けた》(信濃毎日新聞11月3日)とある。
小川氏を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」では小川氏はまっすぐすぎて「政治家に向いていない」という評もあった。これは「だから今の永田町に必要なんだ」という反語でもあったと思うが、今回の行動はそのまっすぐさが単純さとなって不安を露呈した。それが小川氏の魅力なんだという人もいるだろうが、これから代表選に出てリーダーを目指そうという段階になってきたら熱意や善意だと言っても狙われやすいだろう。四国新聞の報道が良い例だ。しかし永田町政治に慣れたら小川淳也ではなくなる。小川氏は小川氏で早くも正念場を迎えたと言える。
私は今後も小川&平井を四国新聞がどう報じていくかヨダレを垂らしながら見守っていきたい。
四国新聞との「両想い」が判明
※ちなみに、帰京して私たちのスタッフが動画を見返していたら、小川事務所についた直後から四国新聞の方にマークされていることに気が付いた。私がまだ四国新聞のベテラン記者に質問する前の様子です。
私たちもまた、見守られていたのである。両思いでした。