ところが――。
小三治は荷物を持ってくれた彼と再会する。
彼は、テレビのなかにいた。
パリで出会った若者は、2019年の秋、日本代表のジャージを着て、ラグビー・ワールドカップに出場していたのだ。
「あ、あのときの!」
驚いたのなんの。それから小三治は日本代表を夢中になって応援し、毎試合、その選手が途中から登場すると、テレビに向かって、叫んだ。
「タナカ!」
荷物を持ってくれた若者は、日本代表のスクラムハーフ、田中史朗だった。
「気持ちのいい人でした。本当の親切心で、私の荷物を持ってくれようとしたのが伝わった。それにしても、ラグビーってのは、いいもんですな。タナカは、あの小さい体で、デカい連中に向かっていく。ケガをするんじゃないかと、ヒヤヒヤしてるんです、私は」
私がラグビーW杯の取材中だったこともあり、このマクラはやたらと心に響いた。
そして小三治が80歳を超えてなお、好奇心が旺盛なことに驚いた。そしてその話が、一編の物語として成立していたことに感激した。
「タナカの話」(私が勝手に命名)がとてつもなく長かったので、ひょっとしたら噺は一席で終わりではないかと思ったほどだったが、「馬の田楽」を演ってから、中入り後はサクッと「粗忽長屋」。小気味よく丁寧な「粗忽長屋」が思い出に残っている。
最後に小三治を聴いた独演会での嘆き
明けて2020年からコロナ禍に見舞われ、演芸の世界も大きな打撃を受けた。
残念ながら、コロナ禍以降で小三治を聴けたのは、2020年12月7日、東京芸術劇場プレイハウスでの独演会が最後になってしまった。
この夜は、「野ざらし」と「長短」の二席。
「長短」のマクラは、小三治が淀橋区柏木生まれであり、現在は柏木が北新宿という地名に変わってしまったことを嘆いていた。
「北新宿じゃない、柏木だってえの。こういうのは、役人が勝手に変えるんです」