そして学んだ中学校は四谷にある学校(中学校の名前も言っていたのだが、終わってからメモを書く段階で、記憶が定かではなくなってしまった)。この中学校の同窓会がまだ開かれていて、徐々に出席者が減ってきたことを淋しがりながら、高校は都立青山へと進学。弁当が早く終わると、旧友の前で、落語を披露したこともあったそうだ。
それが「長短」の凸凹コンビの前振りとなって、この夜の「長短」は、しみじみとした味わいの佳品となった(佳品と呼ぶのは失礼だが、その表現がぴったりだった)。
そして、たしか幕が下りてからもう一度幕が開き、小三治は「医療従事者の方に、拍手をおくりましょう」と音頭を取り、私もその声にしたがって、拍手をおくった。
これが、小三治を聴いた最後になった。
2021年に入って、コロナ禍による先行きが不透明ななか、私の小三治への思いは、
「また、いつでも聴けるさ」
という脆弱なものだった。これは、認めざるを得ない。
次、私が小三治を聴く予定だったのは、2022年1月26日に長崎で行われる喬太郎、三三との三人会だった。
しかし、いまチケットのサイトを見ると、「喬太郎・三三 二人会」となってしまった。
志ん朝のときも談志のときもそうだった
いつでも聴けるさ。
この思いは、間違いだ。
人は、自分の仕事の予定や、家の用事、いろいろなことを片付けなければならず、落語や講談、スポーツをどの優先順位に滑り込ませるか悩む。
いつでも聴けると思っていると、突然、その機会が永遠に失われる。
志ん朝のときもそうだったし、談志のときもそうだった。
ふたりが亡くなって、「聴けるときに、聴いておかなきゃダメだ」と自戒していたのに、このザマだ。
好きなものは、聴けるときに、見られるときに見ておくもんだよ――。
そう小三治に言われている気がする。