ヤンキー文化圏の「深みのない犯罪」の恐怖
真魚 少し前に神奈川県で、注意されたことを逆恨みして高速道路で進路妨害した末に、夫婦を死なせてしまった男の事件がありました。あれって、もうほとんどスピルバーグ監督の『激突!』(1971年)の世界ですよね。
宇多丸 実録犯罪ものの1つの系譜として、ヤンキー文化圏の恐怖というジャンルはあると思う。突然DQNが襲ってくる、みたいな。
真魚 最近だと、真鍋昌平の同名漫画を原作にした『闇金ウシジマくん』(2012年)なんかが、そのラインに当たるのかな。
宇多丸 一億総底流時代だからこそ生まれた作品ですよね。
真魚 原作漫画を読んでいると、リアル過ぎてぜんぜん他人事に思えず、すっごく落ち込みます。
宇多丸 『葛城事件』(2016年)などもそうですが、ああした作品に触れて、あらためて自分の生きている世界を見直すと、そこがドロドロと醜くて、ひどく安っぽい場所に思えてくる。ある作品を通して、世界が輝いて見えることもあれば、その逆もある。そして、そのどちらもが作品の持つ力なんですよね。あと、DQN的世界を描く際のポイントに、メチャクチャ暴力的なくせに、ファンシーなグッズとかも平気で好んでいる、みたいなディテールがあります。
真魚 陰惨さとファンシーさの同居が、イヤな感じを増幅するのでしょうかね。
「あんなんよけれねぇよ、シューマッハでも無理!」
宇多丸 日本におけるヤンキー/ファンシー文化圏における「深みのなさ」と、それに対して起こる犯罪の陰惨さとのギャップが怖いんです。白石和彌監督の『凶悪』(2013年)とかそうですが、無惨に人を嬲り殺した直後に、おどけた格好で子供とクリスマスを祝ったりしてる、みたいなアンバランスさがすっごくイヤ。
真魚 実録ものじゃありませんが、赤堀雅秋監督の『その夜の侍』(2012年)を思い出しました。山田孝之が車で坂井真紀を撥ねてしまうのですが、その時に「あんなんよけれねぇよ、シューマッハでも無理!」とか言うんですよ。
宇多丸 なんだその言い訳は! という。
真魚 そのヤンキーっぽい言い草に、不謹慎だとは思いつつ、つい笑ってしまって。
宇多丸 そのギャップもわかります。シュールかつ場違いすぎて、笑ってしまうんですよね。園子温監督の『冷たい熱帯魚』(2010年)のモデルとなった「埼玉愛犬家連続殺人事件」の犯人・関根元の「ボディを透明にする」みたいなペラッペラな迷言にも近いものがある。あと、「東大阪集団暴行殺人事件」をモデルにした井筒和幸監督の『ヒーローショー』(2010年)も強烈でした。
真魚 生きたまま人間を埋めるにあたり、ショベルカーを使える人をネットで募集したり(笑)。足がつきまくることを平気でやる。何も考えてなくて、とにかくすべてが薄っぺらく、バカバカしい。