ガンは、いつ何時、誰にでもやって来る――。それを実感したのは、2006年秋だった。忘れもしない、11月10日、『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)という共著が書店に並んだ日、共著者の木村修一さんから、あるメールが届いた。タイトルは「断筆じゃ」。
数カ月前から「腹の調子が悪い……」とこぼしていた木村さんは、書籍の仕事が一段落したこともあり、病院でバリウムを飲んだ。すると、進行の速いスキルス性胃ガンだとわかったというのだ。55歳の木村さんは〈「ありえね~」っていうより、「ま、来たもん来た」って感じ〉とユーモアを交えながら心境を綴っていた。
初めて近しい人がガンになった。さらに、木村さんがガンは2、3回、回したら「大外れ」が出てくるガラガラ抽選のようなものだとでもいいたげな感懐を抱いていたことで、当時、33歳だった自分も生きる上で、いつ何時、ガンになったとしてもそれを受け入れられる心の準備をしておくべきなのではないかと思えた。
木村さんは余命数カ月と宣告されたにもかかわらず、普段と変わらずひょうひょうと振る舞い、12月30日、天に召された。そんな木村さんの本当のところを知りたかったし、また、必然的にガンに興味も湧き、その頃、ガンに関する書籍をずいぶんと読んだ。その中で、もっとも引き込まれたのは、奥山貴宏の『31歳ガン漂流』だった。
「オレにとってはガン闘病すらも、日常の一部に過ぎない」
奥山は私と同じフリーランスの、編集者でありライターだった。そして、31歳という若さで、肺ガンの中でも致死率の極めて高い腺ガンにかかり、余命2、3年と宣告される。
同書は、奥山のホームページ上の日記を書籍化したものだが、「闘病記」としては異端だった。奥山は文中で、こう表明している。
〈この日記は、(中略)「助かりたい」とか「死にたくない」とかそういったものは全部突き放し、可能なかぎり削除した上で書いている。(中略)だから、闘病記を読んで泣きたい人とか感動したい人は、どうか他のモノを読んで欲しい。(中略)今のオレにとってはガン闘病すらも、日常の一部に過ぎない。音楽を聴き、本を読む、映画を見る、人に会う、原稿を書くという生活要素の中に「闘病」っていうのが一つ新たに加わっただけ〉
奥山はガンになっても、生活を極力、変えなかった。これまでの人生を肯定したかったのだろうし、実際、奥山は、本当に今の自分の生活を愛していたのだと思う。
ただ、もちろん、表面上は嘆き悲しんだりはしないが、執拗なまでに淡々と書くことで、かえって、彼もまた壮絶な戦いをしているのだろうなと想像せざるをえなかった。心を鎧で覆わなければ、立ち続けることができなかったのだろう。
このスタンスに共感を覚えた。自分も、もしガンになったら、彼と同じように振る舞いたいとさえ思った。少なくとも、奥山と同じく、独身だったこの時代は。