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家族に何を残せるのだろう
しかし、木村さんが他界してから10年以上が経ち、私自身、結婚をし、親となった。もはや、奥山のようにカッコよくは生きられない。もし、余命があとわずかだと知らされたならば、自分がどう生きるかと同じかそれ以上に家族に何を残せるのだろうと考えざるを得ない気がする。
安武信吾・千恵・はなによる『はなちゃんのみそ汁』(文藝春秋)は、その1つの答えが書いてあった。同書は新聞記者である夫・信吾の回想と、乳ガンが体中に転移し余命宣告を受けた妻・千恵が生前、更新していたブログが交互に書かれている。
千恵は、4歳の娘・はなに向けて、こんな思いを綴っていた。
〈ムスメにも、包丁を持たせ、家事を教えます。/勉強は、二の次でいい。/健康で、生きる力が身についていれば、将来どこに行っても、何をしても生きていける〉
これから、どう生きるのか――。これ以上、シンプルで力強い子どもへのメッセージはないように思えた。
『ガンに生かされて』(新潮社)は、プロのウインドサーファーだった飯島夏樹の闘病記だ。この本を読んでいて、もっとも衝撃的だったのは、死を目前にし、飯島が妻と子ども4人とともにハワイ移住を決意したことだ。
もし、死ぬとわかったら、何をしたいか。それを、できれば生きているうちに意識し、実践できるのが理想だろう。そうすれば、死を覚悟しても、木村さんのように「ま、来たもん来た」と思えるのではないか。だが、現実はそんなに甘くはない……と口にしてしまいがちだが、その言葉をぐっと飲み込まなければ本当に進みたい道は見えてこない気がする。