「このような日本人がいたのか」
中村哲氏の自伝的な作品『天、共に在り』(NHK出版)もまた、同じように「このような日本人がいたのか」と思わせる一冊。
中村氏はNGO団体「ペシャワール会」を母体に、30年近くにわたってアフガニスタンで活動を続けている医師。その彼がこの約20年間、特に力を入れてきたのが、「緑の大地計画」という農業用水路の建設事業である。
旱魃(かんばつ)が進んで砂漠化した村に用水路を引き、農業が可能な土地を少しずつ取り戻していく。乾いた土地に一滴の水を染みこませるような地道な作業が、村を結局は甦らせるということ。最初は井戸の掘削から始まった活動を、様々な工夫によって広げていったその軌跡を読んでいると、まさに「千里の道も一歩から」という言葉を思い起こした。
中村氏が試行錯誤の末、日本の伝統河川工法を活用したことにも感銘を受ける。例えば、彼の故郷に近い福岡県を流れる筑後川に、江戸時代に作られた「山田堰」という堰がある。四季の水量の増減に対応するこの工法を、日本に似て急流河川の多いアフガニスタンの灌漑事業で応用している。
この「緑の大地計画」による農業用水路の建設によって、最終的には60万人規模の難民化が防がれるという。誰もいなくなった村に水が引かれ、人が戻り、緑と農地が取り戻される様子には、胸を打たれずにはいられなかった。
最後に吉村昭著『漂流』(新潮文庫)が描くのは、鳥島に漂着した土佐の漁師・野村長平の物語である。漂流の末に辿り着いた渡り鳥しかいない絶海の孤島。しばらくして仲間を失い、たった一人で島に残された孤独の中で、それでも長平は故郷に帰る希望を失わない。飲み水や食料、住居などの次々に生じる課題を分析し、彼は目の前にある限られた道具と知恵を最大限に活用して命をつないでいく。
長平の無人島生活は12年間にわたったが、あとから島に漂着した男たちと手を取り合ってついに帰国を果たす。極限状態での集団の心理、孤独に対する向き合い方、仲間と力を合わせることの意味――様々な本質的なテーマについて考えさせられる作品だ。