中世の日本史というと、大名たちの権力争いや合戦、政策に関するイメージが強いだろう。しかし、日本が諸外国との交流を深め始めた時代にあって、人身売買や強制連行によって奴隷に身を落としていた人がいたことも忘れてはならない歴史的事実といえる。

 歴史学者の渡邊大門氏は、そうした日本で実際にあった人身売買等に関する史実を著書『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』(星海社新書)にまとめた。ここでは同書の一部を抜粋。グローバル化がもたらした「戦国時代の闇」の一端を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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アンダーグラウンドな人身売買

 当時(15世紀前半)の貧しかった日本人は、生活に余裕がなかったために、奴隷として売買されていた。日本でも奴隷の売買は禁止されていたが、アンダーグラウンドの世界では、金に困った人々が奴隷として売買されていたのだ。壱岐島(長崎県壱岐市)では兵乱で食料が尽きていたこともあり、飢餓によって食料の略奪や奴隷の売買で生活を営む者が増えたといわれている。

 それは奴隷商人が貧しい者の子供などを買って、親にその対価を支払うということで成り立っていた。奴隷商人は買い取った子供を転売し、利益を得ていたのである。特に、九州各地には、奴隷商人が存在したといわれているが、それは九州で南北朝の内乱に伴う戦争が多かったことや、中国や朝鮮と近かったことが影響していたと考えられる。

 日本の奴隷事情に目をつけたのが朝鮮人だった。朝鮮では奴隷制が禁止され、もはや奴隷を売買する商人はいなくなっていたが、日本人奴隷の売買だけは別で、規制の網にはかからなかった。かつて日本人は朝鮮人を連れ去り、奴隷として使役していたのだから、その逆は黙認されたということである。

 以後、朝鮮人は10歳以下の日本人男子、20歳以下の日本人女子を奴隷とすることを認めたのである。これにより、朝鮮人は日本人奴隷を購入するようになった。

 また、朝鮮人が日本に行ったとき、日本人奴隷を購入することは、人々の仇に報いることになったという。それは、かつて朝鮮人が倭寇に連れ去られ、奴隷として使役されたことに対する報復ということになろう。朝鮮人は購入した日本人奴隷を朝鮮半島の海岸近くに住まわせなかった。日本人奴隷が船で日本に逃亡する可能性があったので、できるだけ内陸部に住まわせたという。徹底して監視することによって、日本人奴隷が日本に逃げられないようにしたのである。