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日本人奴隷の僧・雪明

 男性の日本人奴隷については、日本人の僧・雪明の例で確認しておこう。それは明応6年(1497)1月、朝鮮の礼曹(行政機関の一つ)が燕山君(李氏朝鮮の第10代国王)に報告した内容に基づくものである。

 雪明は博多(福岡市博多区)の出身である。対馬から面羅時羅という者が博多を訪れた際、当時まだ14歳の雪明に会い、「もし朝鮮に行けば、衣食は支給され、爵秩(爵位)が与えられる」と勧誘した。雪明にとって、これは好条件だった。そこで、文明6年(1474)1月、雪明は面羅時羅に伴われ、友人6名とともに朝鮮の薺浦へ渡海したのである。しかし、ここで雪明らに悲劇が襲った。

 雪明は到着地で友人らとともに捕らえられると、そのまま朝鮮在住の日本人に売られ、奴隷として労働に従事することになった。雪明は朝鮮での生活に伴う好条件につられ、面羅時羅に騙されたのだ。当時、日本では日本人奴隷を買い求め、朝鮮で転売する日本人の奴隷商人が存在した。朝鮮には、日本人の奴隷商人から日本人奴隷を購入する、朝鮮人の仲買商人がいたという。

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 雪明は奴隷身分から逃れるため、頭を丸めて僧侶となった。剃髪は奴隷を意味していたが、僧衣などで僧侶と判別できたのだろう。また、僧侶は俗世界とは離れていたので、奴隷であっても解放されたと推測される。こうして、雪明は大国諸山を回ったが、朝鮮では儒教が国教だったため、仏教は徹底して弾圧されていた。雪明は厳しい弾圧から逃れるため、あえて髪を伸ばして俗人となり、日本人の家に寄寓して「日本に帰国したい」と希望を述べた。

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 ところが、僧侶として朝鮮全土を回り、国情を詳しく知った雪明を帰国させるわけにはいかないというのが礼曹の判断だった。投化倭人(降伏し、田地を与えられ安住した倭寇)の例に倣って、京中に住まわすことを燕山君に進言したのである。奴隷とはいえ、安全保障の観点から帰国をさせなかったのだ。結局、雪明の措置がどうなったのかは不明であるが、投化倭人に準じた可能性が高い。

 このように、15世紀の日本において、人身売買が国の枠を超えて行われたことは、非常に興味深い。一方で、倭寇が中国人、朝鮮人を捕らえ、彼らが日本で奴隷となったことはすでに述べたが、日本人が逆に捕らえられて、奴隷として朝鮮で使役された点にも注目すべきだろう。いずれにしても奴隷の問題は、単なる一個人のことに止まらず、国際問題にも発展しえたのである。

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