昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/12/03

――なんでそんなに時間がかかるんでしょうか?

村井 つまり、意思決定を誰がするのか、明確ではないことが最大の問題点だったんです。担当大臣、組織委の会長、都知事…この3人のうち誰が意思決定するかがわからないんですよ。今もわからない。さらにIOCがいる。様々な問題が常にぐるぐるとして決まらず、そのしわ寄せが我々地方にくるという。

――なるほど。ひどいですね。

森喜朗氏が耳元で「いらんこと言うなよ」

村井 森喜朗・元会長は、私がお会いしたいと言っても絶対会わせてもらえなかったですからね。

――そうなんですか。

村井 長沼ボート場の会場変更問題で、ぜひボートを誘致したいからお話をしたいと言っても、会ってくれなかった。何度言っても。

――復興五輪と言っているのに、被災地の知事に会わない。

村井 会ってくれないんですよ。お目にかかったのは石巻市で開催された聖火記念式典のときと、東京で被災3県の食材を使ってIOCのバッハ会長のおもてなしをしたときくらい。しかもそのレセプションが始まる前に森さんが近づいてきて、私の耳元で言うんですよ。「いらんこと言うなよ」って。正直あ然としました(笑)。そのときは何も喋らないように努めましたけどね。

森喜朗氏 ©️文藝春秋

――ひどいですね。

村井 元総理が組織委員会の会長を務めたことは、私はミスだと思いますよ。

橋本聖子氏が会長になり変化が

――どういうことですか。

村井 あまりにも偉すぎて誰も何も言えない。組織委員会というのは自前でお金を出すわけでもないのだから、本当は下にいなきゃいけない組織だと思うんです。東京都は開催地だし、お金も出すわけだから、本来は東京都知事がトップにいたほうがいいんですよ。組織委の会長に元総理を置くから混乱する。だから橋本聖子さんが会長になってからは、急に回り始めました。

――そうなんですか。具体的にどう回ったんですか。

村井 例えば宮城県でサッカー競技を有観客で開催しようとなったときに、橋本さんとはすぐに直接連絡を取れました。橋本さんも会いに来てくれたり、私も会いに行ったり、スムーズに意思の疎通ができました。

z