信じていないのに「入信」する人たち
――執筆に当たって多くの方に取材をされたそうですが、その中で印象的だったエピソードや言葉はありますか?
川村 今回は100人以上の宗教の信者や元信者の方に取材しました。登場人物のモデルになった人は何人かいるんですが、その中でも、親が信者だったために、自分も生まれた時からその宗教の信者として育った「2世」と言われる人たちの話は強烈でした。親の反対を振り切って、新興宗教から抜けることはできたけど、その分、何かを信じる力を取り戻すのに苦しんでいる。結婚しても、家族にどう向き合えばいいのかわからないと。
『神曲』のなかに登場する「好きっていう気持ちは、信じることに近い」というセリフは、実際にある人から言われた言葉をベースとしています。愛するということは、その人を信じて「エイッ!」と飛び込むこと。だから、信じられないということは、愛することもできないということなんだと。
あと驚いたのは、本当は信じていないのに、新興宗教に入信していた人が多かったことです。僕は最初この小説『神曲』を、新興宗教にハマってしまった妻と娘を取り戻すために宗教と戦う男の話にしようと思っていたんです。ところが、取材してみたら、そうした状況ではかなりの方が諦めて一緒に入信していた。家族と一緒にいるために、信じていないのに入信するんです。
さらに興味深いのは、意外とそういう人の方がその組織の中で出世するということです。これは国家や会社でも同じかもしれない。ある種の客観性を持っている方がいいのでしょう。ただ、そうした人に話を聞くと、信じているかわからない宗教の中で出世するということに、ずっと葛藤していたとおっしゃっていました。
小説と映画の違いとは?
――川村さんご自身の体験が反映された部分はありますか?
川村 親族に熱心なクリスチャンがいたんです。一方で、何も信じない親族もいて。だから、なんであそこまでピュアに何かを信じられるんだろうという気持ちと、なんでこの人はこんなに疑り深いんだろうという気持ちと、親族に対して相反する思いを持っていました。これは大なり小なりどこの家族にも当てはまるのではないかと思うのですが、今回は、その葛藤を解決したくて書いたという側面もあります。
川村 小説のいいところって、読者が自分でも気づいていなかった感情を、物語を通じて引っ張り出せることだと思うんです。映画は作り手のペースで「見せられる」ものなので観客は受け身なんですが、小説は能動的に読まなければいけない。だから、他人の物語を読んでいるようで、実は自分の罪や問題、欲望みたいな、普段目を背けているものがつまびらかになっていくのが小説のおもしろいところだと思っています。
――今作はある意味で個人的な小説でもある、と。
川村 今回、この作品を読んだ百を超える書店員の方々から熱烈な反響をいただいたんですけど、それが本の感想というより、ほぼ皆さん自分の身の上話を書いているんですよ。僕はかなり特殊な話を書いたつもりだったんですけど、予想以上に皆さん、自分の人生と重なる部分が多いと思って読まれたようです。