――読者が「自分の物語」だと思って読んだ、ということでしょうか?
川村 僕は「これはあなたの物語」というコピーがすごく嫌いで。作品自体に罪はなくて、そういうコピーをつけた人が悪いんですけど。でも、読んだり観たりする前から「あなたの物語」なんて押しつけないでほしい。「いや、それは僕の物語じゃないです」って思っちゃうので。
でも、読んでいく中で結果的に「この物語や登場人物は自分と重なるな」と思う瞬間があるなら、それは最高だと思います。物語に触れるという行為は、自分の最も嫌いな感情や嫌な体験みたいな、そういう記憶との対話になってほしいと思っているんです。そういう黒いモヤモヤは放置しているとだんだん大きくなって、最後には自分を飲み込んでしまうので、そうなる前にちゃんと向き合ったほうがいい。それが人間にとっての物語の意味だと思うんです。きちんと光を当てれば、「なんだこんなものか」と思えるものですから。
僕自身も、一歩間違えば闇に飲み込まれかねないということは自覚しながら小説を書いています。書くという行為は、ジャングルの奥地に1人で入っていくようなもので、だいたいこの辺に自分の怖いものがあるんだなってわかるんです。「なんでこんなつらいことをやっているんだろう?」と思うこともありますけど。
なぜ「動物」は信じられるのか
――そんな川村さんがいま信じたいものはありますか?
川村 この小説を書き終えて、身近なものを信じる気持ちは強まりました。ただ見えないものへの不信が更に高まってしまって(笑)。そのせいか今は人間より動物に関心があります。動物ならば信じることができる。最近周囲でも猫を飼う人がとても増えていて。みんな人間が信じられなくて、動物のそばにいるんじゃないかなと。
今、人類はスマホを使って、歴史上最も言葉を頻繁に交わしている。それなのに、コミュニケーションの密度や信用度は落ちている。むしろ言葉のない動物とのコミュニケーションのほうが、情報量が多くて豊かな交流ができている気がする。でも、それは果たして本当なのだろうかということを、次は書いてみたいですね。
――別に犬は笑っているわけじゃないのに、人間は犬を見て笑顔になる……。
川村 動物から人間への恋愛感情はないと生物学的には言われています。でも、人間はそこを勝手に解釈するというか、都合よく誤解しているのかもしれない。なぜ言葉を持たない動物が豊かな気持ちや体験を与えてくれるのか。こんなに小説的な題材はないと思って、取材を始めています。
(後編に続く)
撮影=末永裕樹/文藝春秋