『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』など、数多くの映画を企画・プロデュースしてきた川村元気氏は、小説家としても読者の心を揺さぶる作品を世に送り出し続けている。そんな川村氏が2年半ぶりとなる長編小説『神曲』(新潮社)を刊行した。
『世界から猫が消えたなら』『億男』『四月になれば彼女は』『百花』に続く、5作目となる本作のテーマは「宗教」だ。執筆に当たって、100人以上の宗教の信者・元信者へ取材を重ねたという川村氏。なぜ今、この物語を描こうと思ったのか。その真意と執筆の裏側について話を聞いた。(全2回の1回目。後編に続く)
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――新作『神曲』で宗教をテーマに選んだ理由は何でしょうか?
川村 最近、目に見えないものに対する世の中の依存度が増していると感じるんです。宗教だけじゃなくて、占いとかパワースポット巡りとか……。インターネットを使えば一瞬で世界中のことがわかる時代になっているのに、逆に目に見えないものに対する人間の興味は強くなっている。
この小説を書いている間に新型コロナウイルスが流行し始めたのですが、ウイルスもまた目に見えないもの。それに人間がこうも揺さぶられているのを見て、これはテーマになりうると思いました。
――なぜ人は「目に見えないもの」にここまで左右されてしまうのか、と。
川村 ニュースを見ていて、なんでこの人がこんな怪しげな人やものに騙されるんだろうと思うことがありますよね。でも、宗教に限らず、別の視点でいうと、例えばブラック企業の悪い経営者に洗脳されている社員もいるのかもしれない。はたから見ると「なんでそんな会社にいるの? 早く辞めなよ」と思う。でも、そこで働いていると、「ここを辞めたら私は何者でもなくなってしまう」と本気で思い込まされてしまう。それは典型的なカルトのやり口と同じです。
ただ、そうやって人を洗脳する会社や教祖のことは想像できるんです。彼らは悪意をもって、営利目的でやっているので。僕はむしろ「そこから抜けられない人」の方に興味があったんです。
「不信」が日常を侵食している
――作中でも、会社と宗教の共通点について語られるシーンがありましたね。
川村 矛盾することを言うようですが、今は「不信」の時代だと思うんです。宗教を信仰する人は減っていると思いますが、何も信じない人と何かを信じ切る人に極端に分かれている気がしていて。ふだん「不信」ベースで生きているからこそ、いったん何かにハマると極端に信じ込んでしまうのかもしれないです。
これは何も宗教の話だけではなくて、インターネットには誰かを攻撃する「不信」の言葉が溢れている。「不信」が日常を侵食しているんです。では、友人や家族すら信じられなくなった時代に信じられるものって何だろう。そう考えると、「信」「不信」というテーマは今多くの人が「当事者」になるテーマだと思いました。