『告白』『悪人』『モテキ』『君の名は。』など、数多くの映画を企画・プロデュースしてきた川村元気氏は、小説家としても読者の心を揺さぶる作品を世に送り出し続けている。そんな川村氏が2年半ぶりとなる長編小説『神曲』(新潮社)を刊行した。
『世界から猫が消えたなら』『億男』『四月になれば彼女は』『百花』に続く、5作目となる本作のテーマは「宗教」だ。執筆に当たって、100人以上の宗教の信者・元信者へ取材を重ねたという川村氏。なぜ今、この物語を描こうと思ったのか。その真意と執筆の裏側について話を聞いた。(全2回の2回目。前編から続く)
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――川村さん自身は、宗教や信仰に対してどのようなスタンスなのでしょうか?
川村 この小説を書く前から、個人的興味で5年くらい、さまざまな宗教のことを取材していました。でも、その果てに、自分は本当に何も信じてないんだなというところに行きついてしまって。もともと、日本人の多くは強烈な信仰を持っていないと思うんですが、それにしても自分は神的なものを何も信じられないんだと愕然としました。
今回は「信じること」をテーマに小説を書こうと思っていたんですけど、新型コロナウイルスの流行中に「不信」が一気に広がっていきました。疑心暗鬼という言葉がありますけど、今の日本にぴったりの言葉だなと。それもあってか、蓋を開けたら、「信じられない」ということを書くことによって、逆説的に何かを強烈に信じることを書いていました。
――川村さんの小説は、『世界から猫が消えたなら』で猫、『四月になれば彼女は』で恋愛、『百花』で記憶など、何かが消えていくことを一貫して書いている印象があります。
川村 僕は不在をもって「在る」ということを書く癖があるのだと思います。加えて、僕の作品の一貫したテーマは「幸福論」です。人間は何をもって幸せだと感じるのか。今回で言えば、簡単には「何も信じない」というのは理知的であるとも言える。まずは調べて疑って考えよと。そういう人は、何かを強烈に信じる人を馬鹿にすることも多い。でも、そうやって何でも疑って「俺は騙されないぞ」と自分を守っている人たちが、あまり幸せそうに見えないんですよね。
信じきることは危険だし、かといって何も信じないでいることも緩やかな地獄に向かっていく道であると。そこの最適解を探っていく作業を物語でやれないかなと思ってこの小説を書きました。
ダンテの地獄めぐりみたいな行程
――そうしたテーマを描くのに、今回は章ごとに父親、母親、娘と、それぞれ視点を変えていますね。
川村 信仰には危なっかしさと神々しさの両面がありますが、一体どちらが正解なんだろうと悩む気持ちを3人の家族の視点から書くというのは、事前に決めていました。1人の視点で書くとどうしても偏るし、2人の視点だと対立構造になってしまうから3人にしようと。宗教を信じている人、信じられない人、信じるか信じないかで揺れている人を、家族という最小の単位で書くのが今回の試みでした。ただこれはめちゃくちゃしんどかったです。1章ごとに全く違う信仰の人間として、文体も変えていましたから。おかげで小説を3本分書いたような疲労感がありました。
ただ、そういうダンテの地獄めぐりみたいな行程を経て、なんとなく自分を知っていった部分もあって。やっぱり作家自身が、書いていく過程で「ああ! こうなんだ!」という気づきがあることがすごく大事だと思うんです。