『世界から猫が消えたなら』は創世記がコンセプトでした。神が7日間かけて世界を作ったのを逆回転させて、余命わずかな男が命と引換えに7日間かけて世界からものを消していく。そうした聖書のストーリーテリングが体の芯にまで染みついているというのは、今となっては仕事に役立っているので感謝しています。
ずっと、なぜ聖書は物語形式なんだろうと疑問に思ってたんです。でも、この小説を書いてみて、物語自体がそもそも「信」「不信」を語るのに一番適しているし、「信」「不信」を語ると自然と物語になってしまうんだなと気づきました。
あと、僕が音楽にとらわれているのも聖歌の影響でしょうね。音楽というものは理屈抜きで感動したり、ぞっとしたり、不安になったりする。僕の場合、小さい頃に聴いた聖歌への感動が原体験になっています。映画の半分は音でできているなんて言われることもありますし。それ故に危うさもあるわけですが。
再発見した“小説の強み”
――目に見えないものが人を理屈抜きで動かす、と。
川村 前は小説を書きながら、「なんでここで音楽流せないんだろう?」ともどかしく思っていたんです。「このシーンではこの音楽がかかる」というのが自分の中であったとして、映画ならすぐ流せるのに、なんで小説ではできないのかと。
でも、今回は違って。『神曲』の中で登場人物の人生を変えてしまう、ものすごく感動的な音楽が登場するんですけど、これが映画だったとしたら、実際にそうした音楽を作るのは困難です。でも、小説なら緻密に文章で描ければ、読者の中で音楽が流れてくれる。これは小説だから書けたものですね。だから今回、改めて小説というものの強みを再発見しました。
撮影=末永裕樹/文藝春秋