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「大変なことはたくさんあったと思います。まず、小さな事務所に所属していたから歌番組の出演時間も短く、自分たちのすべてを見せることが難しかった。『防弾少年団』というグループ名も、本人たちは恥ずかしくて素直に話せなかったようです。

 それはファンにとっても同じで、私はいろんな人にバンタンをすすめようとしたのですが『防弾少年団』という名前を出すだけでクスリと笑われてしまう。なかなか本題にたどりつけませんでした。

 途中でコンセプトを少し変更して、海外向けの名前を『BTS』にしたのは良い戦略だったと思います。でも彼らが『防弾少年団という名前に負けないように、決してファンになったことを後悔させません』と言っていたことも印象に残っています」

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「原爆Tシャツ騒動」を越えて

 2018年に起こった「原爆Tシャツ騒動」も乗り越えて、ひまひまさんがずっと応援し続けられた理由は?

「よく言われることですが、公式ツイッターをはじめいろんなコンテンツを通して、彼らは素に近い姿を見せてくれました。舞台だけを見ているのと違って身近に感じられたので、8年間も追い続けられたのでしょう。

 2013年ごろはまだツイッターを利用しているアイドルが少なく、事務所のアカウントはあっても毎日のように何かアップしている人はいませんでした。しかもBTSは個人のアカウントを持たずグループで共有しているので、7人全員に親しみを感じられたことも良かったと思います」

 次にお話を聞いたのは韓国語ネイティブで日本語が堪能なIANさん。BTSに出会ったのはなんと小学生のころ。特別に推しているメンバーはいないオルペン(全員のファン)だ。

父の遠い知り合いの息子さん

「私は釜山に住んでいて、父の知り合いのまた知り合いの息子さんがJUNG KOOKだったんですね。デビューするから応援してねみたいなことを言われて、音楽番組で『NO MORE DREAM』を見たらハマってしまいました。アイドルなのに目に毒気があって、社会を批判する歌をうたっているのがすごいなと思いました。

 私はまだ幼かったので、生活の中心は学校の勉強で、恋愛について深く悩んだこともなくて。当時ヒットしていたEXOやINFINITEのラブソングはピンときませんでした。バンタンの歌詞のほうが共感できたんです」

最年少のJUNG KOOK ©getty

 ビッグ・ヒットを設立したパン・シヒョク氏は、3大事務所のJYPでヒット曲をいくつも手掛けたプロデューサーとして知られていた。新しい会社でどんなグループを作るのか期待している人も多かったのだという。

「私の記憶だと『NO MORE DREAM』は評判よかったんですよ。3rd ミニアルバム『花様年華pt.1』(2015年4月)のSKIT(※)でJ-HOPEも期待していなかったけどまあまあの結果だったと言っていて。ところが次の『N.O』はメンバーたちも期待したのに反応がよくなくて。その後続曲の『進撃の防弾』は期待していなかったのに反応がよかった。

 そのあとも好成績をとると次は落ちてという感じで浮き沈みが激しくて、成績がなかなか安定しませんでした。そのせいでアンチに『土の匙アイドル』と揶揄されることもありました」

(※)曲と曲の間に挿入される会話など。

「土の匙」とは韓国における下層階級を表す俗語だ。BTSには裕福な家庭出身のメンバーもいるが、敢えて使うことで貶めていたのだろう。IANさんが韓国におけるヒットを実感したのは「Boy In Luv」(2014年2月)がリリースされたときだ。