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 ひょっとすると小室哲哉の人生には、マーケットとは距離を置いて、自身の音楽をとことん追求する道もあったのかもしれない。しかし、幸か不幸か、職業作曲家としての彼は、人々が求めるものに応えて曲をつくる才能に長け、時代の変化にも敏感だった。

 小室の未来を見通す眼力には抜きん出たものがある。2010年のインタビューでは、《もうオタクと言われようが何て言われようが、自分の部屋で作ったものを配信するだけ、ただ自分を出すだけでいいという人がいるじゃないですか? でも、それがたまたま普遍性のあるメロディだったりして、そういうものがヒットする可能性があると思いますね》と語っていた(※4)。

小室ファミリーだった華原朋美「LOVE BRACE」

 ちょうどボカロPと呼ばれるボーカロイドを使って楽曲を制作するクリエイターたちが、ネットでこぞって作品を発表し、注目され始めていたころだった。数年後にはそのなかから米津玄師のようにメジャーデビューし、ヒットを飛ばすアーティストも現れることになる。

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母方の家系に佐久間象山

 一方で、小室が時代を先取りしすぎて、技術や社会が追いつかないということもしばしばであった。iTunes Storeの存在も、かなり早い時期に知った。日本にもいずれ上陸すると聞くと、そのときには自分が最初に楽曲を配信したいと希望したが、国内に浸透するには時間がかかり、結局、10年近くかかったという(※3)。

 そもそも巨額の借金を抱える原因には、1998年に香港に音楽制作会社を設立し、アジアの歌手たちとネットを介してのコラボレーションを目指したものの、それを可能とする通信技術の進歩が彼の期待したよりも遅く、頓挫したことも大きかった。

小室哲哉 ©文藝春秋

 そういえば、小室の母方の家系は、幕末の思想家・佐久間象山の遠い親戚にあたるという(※5)。象山は、欧米列強に日本が対抗するには、開国して技術などを積極的に導入するべきだと訴え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰などに多大な影響を与えたことで知られる。

 だが、あまりに先を行きすぎる主張は、他方で反感を買い、象山は結局、攘夷派の志士に殺害されてしまった。その最期はともかく、先覚者であることが挫折を招いたという意味では小室と重なる。

小室哲哉の「本格復帰」はいつ?

 2018年には『週刊文春』の不倫報道を受けて記者会見を行い、けじめをつけるため引退を宣言した。しかし、昨年には、旧知の仲である作詞家の秋元康がプロデュースするアイドルグループ・乃木坂46への楽曲提供で復帰している。

 今年3月に『女性自身』が取材した際には、別れたKEIKOが前月の離婚発表時のコメントで音楽活動再開に意欲を示していたのを受け、もし必要であれば一音楽家として何でも協力したいと発言して、記者を唖然とさせた(※6)。それでも、小室としてみれば精いっぱいの誠意なのだろう。彼は結局、自分には音楽でしか償うことができないと思っているのではないか。そう考えると、何だか哀しくもある。

 同時期の『週刊文春』の記事では、小室の知人のコメントとして、《仕事を再開したといってもあくまで個人での活動にすぎず、彼の周りにいたスタッフはほとんど去った。(中略)いま小室さんにもっとも近いのは、銀座でクラブを経営する“皇帝”を名乗る人物。SNS発のヒットを出そうと話し合っているそうです》と近況が伝えられた(※7)。

 挫折のたびに音楽によって再起してきた小室である。周囲のスタッフがほとんど去ったというのは気がかりだが、まだ音楽に対し真摯な気持ちを忘れていないのであれば、本格復帰する日も案外近いのではないだろうか。

※1 小室哲哉『罪と音楽』(幻冬舎、2009年)
※2 『サンデー毎日』2014年4月6日号
※3 『CDジャーナル』2011年8月号
※4 『SPA!』2010年8月3日号
※5 『週刊朝日』2012年4月6日号
※6 『女性自身』2021年3月23日・30日号
※7 『週刊文春』2021年3月11日号