きょう11月27日、ミュージシャンの小室哲哉が63歳の誕生日を迎えた。今年2月には、自身のプロデュースするユニットglobeのメンバーで、約20年連れ添った妻のKEIKOとの調停離婚が成立している。
思えば、この20年ほど、小室は紆余曲折の連続であった。プロデュースするアーティストがことごとくヒットを飛ばし、「小室ブーム」を巻き起こしたのは90年代後半。音楽業界全体でもCDの売り上げはこのころピークに達し、以後は減少の一途をたどる。
それと軌を一にするように小室も転落していく。2008年には、自身のマネージメント会社の社長と監査役とともに詐欺罪の容疑で逮捕された。
懲役3年・執行猶予5年の有罪判決
小室は2000年頃からヒットがめっきり減り、このころには巨額の負債を抱えていた。その返済も思うに任せずにいたため、監査役から紹介された個人投資家の男性にすがりつき、JASRACに登録している全楽曲の著作権を10億円で譲渡するとの契約を結ぶ。
しかし、実際には自分の曲の全権利を小室が持っているわけではなかった。そのことに気づいた男性は先に小室へ支払った5億円の返還を要求するも、一向に返還されなかったため、刑事告発に踏み切ったのである。裁判では小室に懲役3年・執行猶予5年の有罪判決が下された。
90年代から逮捕される直前まで、小室は常に曲づくりに追われ、ヒットさせねばならないというプレッシャーから精神のバランスを崩していた。当時の様子を赤裸々につづった著書『罪と音楽』によれば、《愛しているとか、愛されているとか、今日も生きているとか、そういう喜びも麻痺して》おり、いつ死んでもいいと本気で思っていたという(※1)。
一方では大金を手にしたことで金銭感覚が麻痺して浪費を重ね、慢心から周辺にいた人たちもしだいに離れていった。そのことが結果的に事件を招くことになる。