ゴダイゴが羨ましかった理由
ジョニー(吉長)は、イエローというバンドで活動していた時に赤坂のMUGENという本場のR&Bバンドしか出られないクラブに出演していて、フロアにいる大勢の黒人に対して「なんとしても踊らせてやる!」と勝負している姿に衝撃を受けた。俺以外の客は全員外国人。ある意味、「海外で勝負している日本のバンド」のようだったね。もし自分がバンドを組むなら「こういう人と一緒にやりたい」と強く思ったよ。実際、俺がデビューする前に「一緒にやろう」とジョニーを誘ったんだけど、ちょうどジョー(山中)とやるバンドでアメリカに行ってしまうタイミングと重なってしまい「残念だけど今はできない」と断られてしまったんだ。
俺は長い間ずっとトリオ・バンドにこだわっていて、デビューする前から「加部正義とジョニー吉長と一緒にバンドがやりたい」なんてことを漠然と考えたりもしていた。そうこうしているうちにマーちゃんは行方知れずになり、「噂によると死んだらしい」なんて憶測も飛び交うようになった。俺のほうは自分のバンドもなくなり、芸能界という世界でギターを手にひとりで仕事をするようになっていった。阿久(悠)さんと出会ったのもこの頃だね。
デビューしてから2年が経った1978年、3枚目のアルバム『Thrill』を作っている頃の俺は、将来の自分キャリアに対して漠然とした不安を感じていた。自分がやりたい音楽性についてはもちろん「これから先の未来にバンドがどうやって生きていくべきか?」ってことを模索していた時期で……「ひょっとしたらこのまま燃え尽きて終わるんじゃないか?」という考えが頭をよぎることもあった。プロデューサーやレコード会社のスタッフのようなサポートしてくれる人たちとも前向きな話ができず、チームとしてひとつにまとまっていない状況だったんだ。
そんな時に『Thrill』で一緒にレコーディングをしたゴダイゴをバックにライブ・ツアーをやることになり、そこでミッキー(吉野)といろんな話をしたんだ。彼らはいろんなアイディアを持ちながら、何年も先のビジョンも思い描いて活動していて、理想とする未来に向けて自分たちからアクションを起こしていた。俺はそんな彼らのことが羨ましかった。