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「スカウトを洗脳していったんだよ」元編成部長がオリックスにもたらした“スカウティング革命”…彼らはなぜ山本由伸を“一本釣り”できたのか

『オリックスはなぜ優勝できたのか 苦闘と変革の25年』より #2

2021/12/15
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『この子はすごくいいです』

 山口はかつて、1999年のドラフト1位指名を受けてオリックスに入団した剛腕投手だった。2002年には当時日本人最速となる「158キロ」をマークするなど、山口の剛球はそれこそ一世を風靡した。

 1998年、オリックスに不幸な出来事が起こった。

 ある高校生投手を1位指名。しかし入団拒否。他球団への入団を希望していたその投手とは指名直後に対面すらかなわなかった。周囲の関係者に働きかけていた当時の編成部長が、交渉のための出張先で責任を痛感して、自殺するというショッキングな事件だった。

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 山口は、その編成部長に見出された逸材だった。

 山口の争奪戦は、社会人時代の地元・中日、巨人を交え、激しさを増していた。当時のドラフトは、高校生以外の1、2位は選手の逆指名制だった。条件面なら、当時のセ・リーグは、オリックスを大きく上回るといわれていた。

 それでも山口は、終始「オリックスが自分を見つけてくれた」と、亡くなった編成部長への恩義を強調し、オリックスへの逆指名を決めたという経緯がある。

 その実直で一本気な男は、山本が3年生になる直前の2月、宮崎・都城高までわざわざ足を運び、ブルペンでのピッチングも視察した上で、加藤に山本を推してきた。

山本由伸 ©文藝春秋

「山口は、自分の惚れた選手の良さをオブラートに包むわけでもなく、脚色をするわけでもなく『この子はすごくいいです』ということを、きっちりと俺に伝えるわけよ。この選手よりいいですとか、比較対象も持ってくる。だから、すごく印象に残るんだよね」

 加藤は、その無名の高校生投手を見るために、山口とともに球場へ足を運んだ。

 数百人の候補リストから、時期ごとに絞り込んでいくと、最終候補の投手はだいたい30人前後。ドラフト会議当日、指名が進んでいく中で、他球団が指名した選手をリストから消していく。これがダメならこっちと、瞬時の判断が迫られる。

「例えば、投手が30人ノミネートされていたとしても、30人全部は見に行けない。でも、生で見ておきたいなというのは15人くらいは絶対にいるわけ。半分だね。それでもドラフトの時、全員を獲れるわけじゃない。その中で残った選手で、ビデオでしか見ていないっていうのは心細いんだよね。だからやっぱり、練習も見たい。ベンチでどこに座っているとか、監督、コーチと何を話していて、その時、どういう目線なのか。下を向いているのか、上を見てるのか、よそ見しているのか、そういうのを最後見ておきたいのよ。だから山本は見に行ったよ。結構追いかけたんだよ」