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見すえていたのは東京五輪イヤー

 その5年後に、山本は「ジャパン」のユニホームに身を包み、世界と戦い、金メダルをつかんだのだ。

 山本がマウンドにいて、宗がサードにいて、吉田が3番に座る。

 その未来図を描けるか。その青写真を信じて、獲得を決断できるか。

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 加藤が獲ってきて、まいた「種」が成長し、花を咲かせる。ただ、その成果が見えるまでには、長い時間がかかるのだ。

 加藤は、編成部長から外されることになった2016年オフに退団した。

「俺は、優勝するチームを作るために来たんだから、他の部署ではやらない」

 在籍した3年間、チームは2位、5位、最下位。近視眼的に見れば、結果が出ていないという判断になる。組織というものは、その結果で評価を下す。

 誰が悪い? なぜ新しい選手が1軍に出てこない? そうしたマイナスの要素が重なった時、やはり、編成の責任者を代えるという決断に至るのは、仕方のない流れでもある。

 しかし、加藤が見据えていたのは「東京五輪」の時だった。

5年前の「スカウティング革命」が原点

 オリックスの選手が金メダルを獲り、その中心選手がチームを率いて、優勝を争う強いチームになる。

 その世代交代を進めていく。そのために、先を見据え、選手を獲る。

 その“途中”で、責任を問われた悔しさはある。ショートタームでの責任を問うてしまう企業体質が、この25年の間に、シーズン中の監督途中交代が5度、監督ものべ13人だから、その任期は平均2年足らずという“短い数字”に表れてもいるのだ。

 加藤のように「5年先」を見据えたプランが、浸透し切らなかったのだ。

「俺、もしあのまま辞めないでいたら、最強のチームを作ってたよ」

 あの時に獲った選手が中心になって、2021年の優勝を勝ち取った。

 加藤が押し通さなければ、宗も吉田も、山本もいなかったかもしれない。

吉田正尚 ©文藝春秋

 2021年の躍進は、その「スカウティング革命」が原点なのだ。

「結果が出てきたということは、間違いがなかったということだと、俺の中では思っている。出てこなかったら、俺の選択がどうだったのかな、と。今でも、仲良くしていたスタッフからは、連絡が来ますよ。『加藤さんの遺産が頑張っていますよ』って」

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