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「取り調べで涙を流して殺人を自白した」 調書なき異例の「自白採用」は冤罪だったのか? 検察官が証言した“不都合な真実”とは

田園調布殺人事件は冤罪だったのか #1

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 折山さんは取り調べ担当の検察官からの高圧的な取り調べにより、事実認定されたものとは異なる内容の供述調書をいくつか取られていますが、公判担当の検察側からすればどれも半端で使えないと思ったのでしょう。公判では取り調べをした検察官が、調書の断片的な事実を繋ぎ合わせ、『涙を流して殺人を自白した』と証言台に立って言い切ることで本人が『自白した』証拠としようとしたのです。驚くべきことに、最高裁もその証言の内容を認めたんです」

「調書がなくとも供述を証拠にできる」刑事訴訟法

 根拠となったのは、刑事訴訟法第322条・324条だ。

 その条文によれば、被告の供述が「特に信用すべき情況の下にされたもの」で、「任意にされたものでない疑がある」場合を除き、調書がなくとも供述を証拠にできるとされている。

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 端的に言えば、無理矢理ではない“公正な状況下”で行われた取り調べであれば、供述だけでも証拠として採用できるということだ。逆に言えば、同法では供述を証拠採用するためには、その取り調べが「公正に行われたか」を調べる必要性があることも明示されている。

 当然、その運用には「取調官本人の証言は含まないというのが、現在の通例」と小竹弁護士は語る。もし取調官の証言を理由に被疑者の供述が証拠採用できるのならば、取調官が「この供述は公正な条件下でなされたものです」と言えば、あらゆる自白を捏造できる可能性があるからだ。

取材に応じる折山さん ©️文藝春秋

耐えきれず涙したら「自白」にされた

 1985年9月、殺人の「自白」をしたとされる日、折山さんは警視庁の取調室を出て、約50日ぶりに検察官の取調室で陽の光を見た。

 折山さんが述懐する。

「今と違って当時は検事が警視庁に来て、直接取り調べを行っていたんです。なので、取り調べを受けるために検察に行くこともなく、一歩も警視庁から出られませんでした。取調室にも窓なんかなくて、全く外の景色が見られないんです。それで50日が経って、ようやく検察庁に行ったら、取調室は正面が日比谷公園なんです。ちょうど台風が1日か2日前に来て、綺麗に銀杏が散っていましてね…まだ掃き掃除もされていませんでした。それを見たとたんにもうダメになっちゃって、耐えられなくなっちゃった。で、泣き出しちゃったんです。それは今も覚えています。でも泣いただけで、自白はしていません。ところが裁判では、この日に自白したことにされてしまったんですよね…」